一関 達谷窟

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平泉から一関へと向かう先に、「達谷窟」(たっこくのいわや)があります。

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その道沿いに目立った巨岩を見かけました。
「鬘岩」(かつらいわ)という巨岩はその昔に暗い歴史ある岩でした。

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「達谷窟」は、別当「達谷西光寺」(たっこくせいこうじ)にあります。
お寺なのに鳥居が連なっています。

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「石」(いし)の鳥居、

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「丹」(に)の鳥居、

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「杉」(さん)の鳥居と順に抜けていきます。

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そこにはまるで岩に喰われているような風貌の「毘沙門堂」がありました。

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「毘沙門堂達谷窟縁起」によると、この「達谷窟」はその昔、鬼と称されていた蝦夷の王、「悪路王」(あくろおう)の住処だったと云います。

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悪路王はたびたび各地を、時には京をも荒らし回り、そこから姫達を連れ去りこの窟の上に閉じ込めていたそうです。
その悪路王を討ち取るため、京より征夷大将軍に任命されたのが「坂上田村麻呂」(さかのうえたむらまろ)その人です。

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坂上田村麻呂は数々の鬼退治で名を馳せた伝説の英雄です。
田村将軍は悪路王征伐の折り、京の清水寺で必勝祈願をします。
その甲斐あり、見事悪路王を討ち取ることに成功しました。

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そこで感謝を込め、田村将軍はここに清水寺に似せた堂を建て、108体の毘沙門天を祀り、「窟毘沙門堂」と名付けました。
当時の毘沙門天は数々の戦禍ですべて焼失しており、現在は様々な時代の毘沙門天が30体ほど立ち並ぶ中に、伊達正宗から寄進された厨子に、秘仏の「吉祥天」と「善膩子童子」(ぜんにしどうじ)を納めています。

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僕はこの時、知らなかったのですが、創建以来5代目となるこの御堂の床下は、『祖先の霊魂があの世から帰りて集う』聖なる場所とされ、禁足地になっているそうです。
そんな気は毛頭起こりはしませんでしたが、いたずらに入り込まなくて良かったです。

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「悪路王」とは、当時この地の軍事指導者だった「アテルイ」だとする説があります。
アテルイは延暦8年(789年)、現在の岩手県奥州市付近に侵攻した朝廷軍を撃退した東北の英雄ですが、後に坂上田村麻呂に敗れ処刑されます。
歴史や伝承は、勝者に都合よく語られることはよくあることです。

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毘沙門堂の奥の崖をよく見ると、磨崖仏があります。

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これは義経の先祖、「源義家」がこの地の争いで命を亡くした敵味方の霊を供養するために、矢を放って彫ったと伝わります。
北限の磨崖仏で、全国の五大磨崖仏のひとつに数えられていますが、明治29年に胸から下は崩落して無くなってしまったので、現在は「岩面大仏」と呼ばれています。

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毘沙門堂の向かいには「蝦蟆ヶ池辨天堂」(がまがいけべんてんどう)があります。
この蝦蟆ヶ池は神の池とされていて、古来からこの池に棲むもの、特に「蛇」は辨天様のお使いであるとして殺生が禁じられてきました。

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その昔、達谷川や北上川に美しい浮島が行き来していたそうです。
しかしこれは五色の蝦蟆の姿をした、「貪欲神」(貧乏神)が化けていたものであると、この地を巡礼していた慈覚大師が見破ります。
大師は島を捕えこの毘沙門堂の前に持ってきて逃げないようにお堂を建て、蝦蟆を降伏する「宇賀神王」(白蛇)を頭に頂いた、八臂辨財天を自ら刻んで祀ったと云います。

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境内の裏手を散策します。

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そこにはひと際侘びた風情の「姫待不動堂」があります。

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悪路王は捉えた姫が逃げ出した時、この先の「姫待瀧」で待ち伏せし、捕まえては再び逃げ出さぬよう黒髪を切り取ったといいます。
その姫君の黒髪を見せしめに晒したのが「鬘岩」。
達谷窟に来る道すがらに見かけた大岩です。

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そして「姫待瀧」の傍には、かつてこの「姫待不動堂」が建っていたそうです。
姫待不動堂は後年、達谷窟の境内に移されました。
中には恐ろしげに睨みつける、不動尊が祀られています。

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姫待不動堂の奥に「金堂」があります。

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金堂は古くは講堂と呼ばれ、達谷西光寺の根本道場になります。
とても美しい堂です。

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ご本尊の薬師如来は真鏡山上のご神木で造られたそうです。

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岩手一関の山村にある達谷窟は、とても空気のきれいな、神秘のスポットでした。

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