国造神社

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阿蘇神社の北にある「国造神社」(こくぞうじんじゃ)へ行って来ました。

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境内の手前には、少し小さめの古墳が二つあります。

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「下御倉古墳」(しものおくらこふん)は「速瓶玉命」(はやみかたまのみこと)の妻、「雨宮媛命」(あまみやひめのみこと)の古墳だと云いますが、何だか荒れた感じでした。

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その上に「上御倉古墳」(かみのおくらこふん)があります。

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こちらは「速瓶玉命」の古墳とされ、いずれも横穴式古墳となっています。

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速瓶玉命は健磐龍命の子で、崇神天皇の時代、阿蘇国造に任命された人だと伝わります。

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その速瓶玉命を主祭神に祀った神社が「国造神社」です。

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しっとりとした参道を歩きます。

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手水舎の先に、「水神社」があります。

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祓戸の役割を担っているのでしょうか。

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高台の上にある本殿の祭神は速瓶玉命の神名「国造大明神」です。

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国造神社は阿蘇神社の北にあるので、「北宮」と愛称で呼ばれています。

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境内に「白蛇の桧」という切り株があります。

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古くより白蛇が宿り、それを見た者は運が開けるそうです。

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大昔、阿蘇谷が大きな湖だった時、建磐龍命は農地をつくるため、立野の火口瀬を蹴破りました。
一気に水が流れ出し、湖は干上がるはずでしたが、一向に水が流れ出ていきません。

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健磐龍命がみて見ると、湖の主である大鯰が、阿蘇谷の半分にかけて横たわっています。
命は鯰に「多くの人々を住まわせようと骨折っているが、お前がそこに居ては仕事もできぬ」と訴えます。
それを理解した大鯰は頭を垂れて、命に別れを告げて立ち去ったと云います。

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人々は自分たちが豊かになるために退いていただいた大鯰の霊を神として祀りました。
それが「鯰宮」(鯰社)です。        

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社の下を覗くと、小さな鯰が鎮座しています。

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阿蘇谷に横たわっていた大鯰はこの鯰宮の伝承では、健磐龍命と和解し、素直に立ち去ったと伝えています。
しかし他の伝承では、鯰は健磐龍命に刀で3つに切られたとか、涸死したと伝えているものもあります。
この大鯰は阿蘇谷の先住民族の比喩である可能性が高いのですが、健磐龍命に殲滅されたのか、和解したのか、気になるところです。

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健磐龍命は諏訪神社の御祭神「建御名方神」(たけみなかたのかみ)の子孫である「武五百建命」(たけいおたつ)と同じ神様だという話もあります。
建御名方は出雲の国譲り神話で、タケミカヅチに出雲から諏訪湖に追われ、そこへ住むようなった神です。
そして鯰は建御名方の眷属で、健磐龍命と鯰は、祖を出雲にする同族である可能性もあるわけです。

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境内に、ちょっと異様な、巨大な木が置かれています。

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「手野のスギ」と呼ばれ、速瓶玉命手植の杉と伝わります。

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昔は二株で、夫婦杉と呼ばれていたそうですが、文政年間(1818~1830)に落雷のため雄杉が焼失。
残る雌杉も平成3年(1991)の台風19号で折れてしまったそうです。

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現在、幹はこうして加工され、手厚く祀られています。

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境内に「神杉」と彫られた古い石碑があります。

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これは雄杉の焼けた旧株から出たひこばえとも、新たに植えられたものとも伝えられています。

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また台風で折れた雌杉の上部から採取した新たな命が芽生えていました。

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阿蘇の神社を訪ねていると、次第に謎が深まってしまいました。
地図を見ていると、阿蘇外輪山の内側の谷には、太古は湖だったと言われて納得してしまう地形が見て取れます。
そして確かに、立野のあたりからは水が流れ出したように見えます。

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阿蘇地方に多く伝わる「鯰」が「先住民族」か「現象」か、何を表しているのか分かりません。
しかし健磐龍命が伝承通り、立野の山を蹴り崩したとは考えられないので、例えば今回のような大地震があって、外輪山の弱い部分が崩れて湖水が流れ出したということがあったのではないでしょうか。
結果として多くの人命が犠牲となり、豊かで肥沃な大地が出現します。
その鎮魂と感謝を祀ったのが国造神社であり、鯰宮なのかもしれません。
健磐龍命は鯰を食べることを禁じ、阿蘇神社の人々は今でも鯰を食べない風習が残っていると云います。

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