上色見熊野座神社

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幽玄という言葉しか思い浮かびません。
熊本県高森町上色見にある「上色見熊野座神社」(かみしきみくまのいますじんじゃ)は訪れる人を、霊界へと誘う神社です。

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上色見熊野座神社を訪れるには、晴れの日も気持ち良いですが、
勇気があるなら朝霧深い早朝か小雨降るくらいの頃が一層味わい楽しめます。

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狛犬も素朴で愛らしい。

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鳥居をくぐると、鬱蒼とした杜に延々と続く階段に息が漏れます。

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登り道が続きますが、景色の美しさに心奪われます。

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上色見熊野座神社は上色見郵便局があるカーブの途中にあるので、入り口をつい通り過ぎてしまいやすいです。
そのせいか、ひと気は少なく、薄暗い参道は人によっては怖く感じるかもしれません。

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ここは「夏目友人帳」の作者、「緑川ゆき」さんの短編作品「蛍火の杜」の舞台となったところ。
あやかしと少女の淡い出逢いと別れを綴った、あたたかくも切ない物語です。

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晴れの日でも参道は薄暗いのですが、差し込む陽光が心をほぐしてくれます。

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参道にひときわ目立つ石があります。
「鬼八」が「穿戸岩」(ほげといわ)を蹴破った時に飛んできたとされる石です。

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本殿に着きました。
「伊邪那岐命」(いざなぎのみこと)「伊邪那美命」(いざなみのみこと)を祀っています。

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神紋は「違い梛」(ちがいなぎ)。
「梛」(なぎ)は紀伊半島に多く自生し、「熊野三山」における御神木です。
魔除けの力があり、「縁が切れない」とその葉をお守りにしていたと云います。

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本殿の裏には神々しい光が見えます。

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これが「鬼八」(きはち)が蹴破った「穿戸岩」です。

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神々しい光が溢れています。

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「鬼八伝説」は阿蘇地方と、お隣の高千穂に、似た話が伝わっています。

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阿蘇に伝わる伝説では、鬼八は健磐龍命の従者・家来です。
健磐龍命は弓の稽古を日課としていましたが、その矢を拾ってくるのが鬼八の役目でした。
100本目の矢を拾ってくる時、疲れた鬼八は矢を投げ返しますが、その矢がたまたま健磐龍命の腿に当たってしまいます。
それに腹を立てた健磐龍命は鬼八を成敗しようとして追いました。
鬼八は阿蘇中を逃げ回りますが、その時蹴破った岩が穿戸岩です。

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ついに鬼八は健磐龍命に捕らえられ、首をはねられますが、不思議なことに首は元通りにくっつき、鬼八は蘇ります。
そこで健磐龍命は鬼八の体をばらばらに切り、それぞれを離れた場所に埋めました。
するともう鬼八は蘇ることはなくなりましたが、この時、「阿蘇谷に霜を降らし、この怨みを晴らしてやる」と言い残します。
阿蘇地区にある「霜宮神社」(霜神社)では約2ヶ月間、幼い乙女が火焚殿の中で鬼八の痛みを和らげるため火を焚き続けるという神事が今も行われています。

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高千穂に伝わる伝説では、神武天皇東征の時、荒海に消えたとされる兄「三毛入野命」(みけいりののみこと)が、生きて高千穂に戻ります。
ある時、三毛入野命が水を飲もうと川岸に寄ると、川面に美しい娘が映って話し掛けてきます。
その姫は祖母岳明神の孫娘「鵜目姫」(うのめひめ)でした。
姫は鬼八にさらわれて、アララギの里の洞窟に隠されているので助けてほしいと訴えていました。
三毛入野命は他にも村へ悪行を繰り返す鬼八を討伐します。
しかし鬼八は何度も蘇生した為、ついに亡骸は三つに切り分けられ、別々に埋葬されました。
救出された鵜目姫は三毛入野命の妻となり、生まれた八人の子の末裔が代々高千穂を治めますが、
死んだ鬼八の「祟り」によって高千穂では早霜の被害が出る様になりました。

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高千穂神社に「猪掛祭」(ししかけまつり)が伝わりますが、これは鬼八の祟りを鎮めるために行われているそうです。
祭壇にイノシシをまるごと一頭供えて祭祀が行われますが、かつては乙女が生贄とされていたと云います。
戦国時代にこれを哀れんだ日之影町中崎城の城主「甲斐宗摂」(かいそうせつ)の命により、イノシシを身代わりに供えるようになったと伝えられます。

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鬼とは大和朝廷にまつろわぬ民の蔑称です。
この二つの伝承の裏には、阿蘇谷から高千穂一帯に住む先住民族と、東方から遠征してきた大和族の闘争が背景にあるように思われます。

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三毛入野命は海で亡くなっていますので、おそらく健磐龍命が阿蘇にやってきて、阿蘇谷の開拓を行う時、
高千穂に至るまでの先住民に労務を課したのでしょう。
最初は恭順した民も、あまりの過労に苦しみます。
死者もいたかもしれません。
そこでたまりかねた民が、あちこちで一斉に反乱を起こしたのではないでしょうか。
斬っても斬っても蘇る様などは、反乱が広範囲に及んだことを表していると思われます。

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歴史は常に勝者の視点で物語られていくものですが、ここ穿戸岩のある上色見熊野座神社境内は、
鬼八たちの隠れ家であり、聖地だったのでしょう。

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穴の先には、緑眩しい森が広がっています。

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帰り道、鬼八が蹴り飛ばしたという岩を改めて見て見ると、蛇のような形が浮き出ていました。

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その姿は、今はもう、ただただ静かに眠っているように見えました。

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