鬼八塚

投稿日:

p3200742-2017-03-31-11-57.jpg

高千穂神話にある「鬼八の伝説」で、村人を困らせていた鬼八は三毛入野命に退治されてしまいます。
しかしその「鬼八」は渡来人でこの地に稲作を広めた人物だったという説があります。
鬼八は当初、二上山を降り、豊玉姫眠る「祖母岳明神」の娘「鵜之目姫」(ウノメヒメ)を奪い、あららぎの里の鬼ヶ窟に隠していたと伝わりますが、地元の伝承では、実は鵜之目姫は鬼八の妻だったと云うのです。

p3200743-2017-03-31-11-57.jpg

三毛入野命は鬼八を退治したところ、一夜にして息を吹き返したため、今度は胴・手足・首とバラバラに3ヶ所に分け埋葬したと伝えられています。
その埋葬場所は「鬼八塚」と呼ばれ、高千穂町内に首塚、胴塚、手足塚と3ヶ所に別れて存在します。

b_ornament-2017-03-31-11-57.jpg

p3200744-2017-03-31-11-57.jpg

「胴塚」は、旅館「神仙」の敷地内にありました。

p3200745-2017-03-31-11-57.jpg

枯山水のような庭園の奥に、

p3200746-2017-03-31-11-57.jpg

その塚があります。

p3200748-2017-03-31-11-57.jpg

b_ornament-2017-03-31-11-57.jpg

p3200759-2017-03-31-11-57.jpg

「手足塚」は「道の駅高千穂」の近く、高千穂高校の裏山、淡路城跡中腹にあります。
ここには二つの塚が立ち並んでいました。
アクセスはやや困難です。

p3200762-2017-03-31-11-57.jpg

b_ornament-2017-03-31-11-57.jpg

p3200758-2017-03-31-11-57.jpg

「首塚」はホテル神州の近くにあり、もっともアクセスが容易です。

p3200752-2017-03-31-11-57.jpg

鬼八の里「あららぎ」は「神呂木=神漏岐」(カムロギ)に通じると云います。
神漏岐の神は「天津祝詞」にその名が出てくる、イザナギ・イザナミに先んじて存在した原初の男神です。
鬼八の末裔は姓を「興梠」(こおろぎ)と言い、これも神呂木が由来となっているのではないかと考えられているようです。

p3200753-2017-03-31-11-57.jpg

これら僕が知り得た伝承をまとめると、二上山に天降った神とは鬼八のことであり、渡来人で山里に稲作をはじめとする様々な文化を伝え、阿蘇から矢部、高千穂一帯の村民に慕われ、由緒ある祖母山の姫を妻に迎えた古代高千穂の主だったのではないかということになります。
阿蘇の伝承を踏まえると、鬼八は争いを好まず、朝廷の支配にも当初は恭順したものの、民へのあまりの過労・苦税に反旗を翻し、村民をまとめ果敢に戦いを挑んだ様子が伺えます。
力でねじ伏せる朝廷に、劣勢ながらも抵抗し続けた様子を、度々蘇る鬼八の伝承として伝えたのではないでしょうか。

p3200755-2017-03-31-11-57.jpg

今も続く高千穂神社の「猪掛祭」は鬼八鎮魂の祭であり、その祭に先駆けてこの「鬼八塚 首塚」で神事が行われています。

p3200757-2017-03-31-11-57.jpg

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください