木花神社

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神々の住まう天津国「高天原」にいた「天照大神」は豊かな地上を眺め、
「葦原の中津国は今は国津神の支配下になっているが、元は私たちの国であるので、天津神が治めるべきでしょう。」
と言い出し、息子や使者を「大国主命」がいる出雲へ向かわせ国譲りを迫ります。
しかし大国主の支配力は強大で、天照大神はついに最終兵器、武神の「武甕槌」(たけみかづち)を送り出し、ついに中津国を手にしました。

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手にした中津国を治めるよう遣わしたのが天照大神の孫、
「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命」
(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)です。
これがいわゆる「天孫降臨」です。

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一般には「邇邇芸命」(ににぎのみこと)と呼ばれていますが、命は幼くして天降り、その後すくすくと育ちます。
ある日、川沿いを散策していた邇邇芸命は美しい姫と出逢い、恋に落ちます。
その姫の名は「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)。
この邇邇芸命と木花咲耶姫の伝説の場所のひとつに「木花神社」(きばなじんじゃ)がありました。

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木花神社の入り口に、木花咲耶姫が出産した三皇子の産湯に使ったとされる井戸があります。

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「霊泉桜川」(れいせんさくらがわ)、謡曲にも歌われた美しい名を持つ霊泉です。

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昔、この泉のほとりに貧しい夫婦者がいました。
その子供「櫻子」(さくらご)は両親の苦しい生活を見かねて、自ら人買に身を売り、そのお金を家に残して密かにこの地を離れました。
それを知った母親はとても嘆き悲しみ、ついに我子を探し求めて旅に出ます。

母親が旅に出て三年経った頃、常陸国にある磯部寺の僧が、自分の弟子にした少年を連れて櫻川へ花見にでかけました。
するとそこには、流れる花を網で掬う女がいます。
僧は気になってそのわけを女に聞いてみました。
女は「わが子の名を櫻子といいます。この川の名もまた櫻川というので、散る花を徒らにしないようにと思って掬っているのです」と答えました。
その言葉に思いつまった弟子の少年は、自分が櫻子であることを母に告げます。
それを聞いて、母は夢かと喜び、母子一緒に故郷へ帰って行きました。

櫻子は木花咲耶姫命に祈願して授かった申し子であったので、ご神霊の加護によって我子を探し当てる事ができたのであると伝えています。

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境内を進むと、「無戸室の跡」と書かれた場所があります。
邇邇芸命と結婚すると木花咲耶姫は、すぐに妊娠しました。
姫は命へそのことを告げましたが、あまりにすぐに妊娠した姫に、命は不義を、あろうことか疑ってしまいます。
これに激昂した姫は、「まことにあなた子ならば、業火に焼かれても無事生まれることでしょう」と産屋に篭り、自ら火を放って、業火の中で出産します。
そして無事生まれた子を見せて、邇邇芸命に認知させるのでした。
木花咲耶姫は名の通り、花が咲くように美しい姫だったと伝わりますが、しかし豪胆な一面もあったと云うことです。

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木花咲耶姫の伝承地は各地にあり、有名なところが宮崎西都にもあります。

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でもここはここで、二人とその子らが仲睦まじく過ごした雰囲気を、そこはかとなく感じさせる、そんな場所でした。

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