松下村塾・萩・他

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山口県の日本海沿いにある「萩」。
そこは陸の孤島と言ってもよさそうな辺境の地ですが、「吉田松陰」や「高杉晋作」、「木戸孝允」、「伊藤博文」など、
多くの幕末志士を生み出した、明治維新胎動の地として知られています。
そんな萩を、ぶらり歩いてみました。

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【萩往還】
長州藩が参勤交代のため開いた「御成道」(おなりみち)を「萩往還」(はぎおうかん)といいます。
日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結ぶ、およそ53kmの道です。
幕末の志士たちも、この道を駆け抜けたと云います。

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萩往還の萩市入り口には「道の駅」があります。
そこに著名な維新志士の像が多数立っていました。

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萩は小さな町です。
しかしそこから、日本をひっくり返すほどの偉人が、何人も生まれています。
それはなぜか!?

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僕が聞いた話です。
「毛利元就」(もうりもとなり)は偉大な戦国大名として中国地方の多くを領地とし、支配していました。
しかし関ケ原の戦いで豊臣家に味方した毛利家は以後、「周防」(すおう)と「長門」(ながと)の2ヶ国に領地を減らされます。
その時、毛利は、ありったけの優秀な人材を萩へ連れて言ったと云うことです。

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慶長9年(1604年)、元就の子「毛利輝元」(てるもと)が防長二州36万石の居城として萩城を築城します。

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以後、約260年間、優秀な遺伝子を育んで、明治維新に至ったということです。

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中でも明治維新の火付け役となった「吉田松陰」(よしだしょういん)は萩市の大スター。
「萩往還」道の駅にも、その資料館が無料で開放されています。

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近年「世界遺産登録」で湧き上がった萩。
そのシンボルといっても良い遺物が史跡「萩反射炉」です。

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それは小高い丘の上の公園内にありました。

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これは炉の煙突部分ですが、この長い煙突が大量の空気を炉内に取り込み、炉を高温に保ちました。
この反射炉は「硬くてもろい鉄」を「軟らかくて粘りのある鉄」に変えることができたそうです。

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吉田松陰誕生の地にほど近いところに、「松陰神社」があります。
御祭神はもちろん、吉田松陰。

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境内に入るとすぐのところに「明治維新胎動之地」と記された石碑があります。
これは、昭和43年(1968)に明治維新100年を記念して建立されたもので、故「佐藤栄作」元首相の書と云います。
吉田松陰が開いた「松下村塾」(しょうかそんじゅく)は、近代日本の原動力となった数多くの逸材を輩出しました。

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吉田松陰は変人といってもいい、なかなかのヤンチャ者だったようです。

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21歳の時、江戸にいた松陰は東北の海防に興味を持ち、調査の旅を計画します。
が、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、脱藩しました。
当時脱藩は死罪にあたる重罪です。

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なんとか江戸に戻った松陰は当然謹慎処分を受けます。
そして、松陰 23歳の時、黒船が来航しました。
人々が恐れ慄く中、松陰は「先進国の文明を学ぶチャンス」と捉え、黒船に乗り込み密航させてもらおうと考えます。

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そしてペリーが来航した時、松陰はろくな計画もなく、盗んだ小舟で漕ぎ出し、黒船のデッキに乗り込みます。
ペリーは松陰の、この特異な好奇心に感心しますが、やはりそれは許されることではなく、追い返してしまいます。
この後、松陰は牢獄に入れられました。

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松蔭はこの時の気持ちを一句詠みました。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(このようなことをすれば、こうなることはわかっていたが、それでも私の日本を想う心がそうさせた。)
この後、吉田松蔭は仮釈放になって牢獄から出ます。
そして、謹慎中の家で近所の人相手に講義を始めたのが「松下村塾」です。

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松下村塾の建物は、松陰神社の境内にあります。

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吉田松陰はここで、「高杉晋作」、「久坂玄瑞」、「伊藤博文」、「山県有朋」など、多くの門人を育てました。

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この広いとは言えない小屋で、松陰が教育したのは、わずか1年と云います。

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しかしそこには間違いなく、明治維新の卵が胎動し始めていたのです。

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境内にはもう一つ建物があります。
吉田松陰が幽囚された旧宅です。

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さて、仮釈放中の松陰ですが、「井伊直弼」とその右腕「間部詮勝」(まなべあきかつ)の独断政治に怒りを爆発させます。
そこで松陰は長州藩に「間部を暗殺するので、暗殺に使う武器を提供して欲しい」と願い出ますが、
当然藩はこれを受けることはせず、松陰をまたも牢獄にいれます。

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心配する松下村塾の弟子たちは血判状まで出して諭すのですが、これが逆効果になり、
松陰はさらに激昂し、弟子たちとの絶交さえ決意します。
そして松陰は老中暗殺計画を自ら暴露し、井伊直弼の大粛清により死罪となります。
世にいう安政の大獄において、松蔭は、最後の刑死者になりました。

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こうして吉田松陰はわずか29歳でその生涯を閉じますが、彼の意志を継いだ弟子たちが力を尽くし、松蔭の死後8年たって、日本は明治という新時代を迎えました。
明治23年(1890)に吉田松陰を祀って神社が建てられます。
現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したもの。
御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められています。

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旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。

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激動の中、さらに激しく生きた吉田松陰。
彼ははこんな言葉を最後に残しました。

「諸君、狂いたまえ。」

ー Be Crazy ー

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