一宮神社~神功皇后紀 4

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なんとも微笑ましいこと。
にわかに作った小池に、鳥、魚が戯れている。
あの首の長い鳥、あれは「鵜」と言ったか。
飼いならした村人が鵜から魚を得る様は、いつまで見ていても飽きることはない。
それにしてもあの男、「鰐」の駆けつけた時の慌てた顔と言ったら。
先ほどまでの荒んだ心持ちも、どこかへ消えてしまった。
寒空ではあるが、心はのどかになった。
やがて潮も満ちて、程なく大王の待つ「岡の水門」に辿りつくだろう。
しかしあの男には借りができてしまった。
何か恩を返してやらねばな。

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「名護屋大済」(なごやのおおわたり/戸畑・若松付近)で仲哀天皇と別れて進むことになった神功皇后は「洞の海」(くきのうみ)という内海を進みます。

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【皇后崎】
「洞の海」とは今の「洞海湾」ですが、太古は今よりもっと海岸線が陸地側に迫った海でした。
その先に神功皇后一行がたどり着いたのが黒崎辺り。
工業地帯の住宅街の一角に、その足跡があります。

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四角く盛られた土の上に「皇后崎」の石碑がありました。
当時はここまで海があり、この岬に船をつけ上陸したようです。

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【一宮神社】
皇后崎から上陸した皇后は「一宮神社」(いちのみやじんじゃ)を訪れます。
神功皇后らが豊浦宮に住んでいた時から度々訪れている聖地です。
そこは、かつて初代天皇「神武天皇」が日向から奈良の橿原へ東征する途中、一年間住まわれた場所で、「岡田宮」と言われていました。

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「一宮神社」から少し離れたところに「岡田神社」があります。

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市街地にあり、少し小高い場所にあるこの神社はもちろん、「岡田宮」にちなんだものですが、「一宮神社」の方が元宮となるそうです。

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さて、「一宮神社」にもどり、参道を進みます。
鳥居の扁額には「王子宮」とあります。
神武天皇が即位前の頃に住まわれたので「王子」の名がつきました。
ただ、実は神武天皇は記紀が創り出した架空の天皇のようです。
実際には物部系の別の天皇であったと想定されます。

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参道脇に「王子本宮」の石碑があり、奥に玉垣が設けられています。

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この玉垣の中には古代の祭祀跡がありました。

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とても神聖な空気が流れています。
神を祀るため、石を重ね築いたものを「磐境」(いわさか)と言います。

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手前の丸い磐境は「天神/天つ神」、奥の四角い磐境は「地祇/国つ神」を祀っているようです。

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昭和に復元されたもののようですが、このような神跡を間近に見られるのは貴重なことだと思います。
神功皇后もここで祈りを捧げたのでしょう。

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そこから少し参道を登ると本殿です。

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裏手の杜は深く、ここが今も聖域であることを感じさせます。

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そこには静謐な空気が流れていました。

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一宮神社で祭祀を行った皇后は「皇后崎」から再び「洞の海」へ出航します。

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【紅影の池】
神功皇后は航海の途中で二児島という所に立ち寄ります。
村人たちは皇后様に疲れを癒していただこうと、清水が湧き出る小さな池に案内します。
皇后が手を洗おうと覗き込むと、皇后の赤いほお紅までもくっきり水面に映ったとのことでこの名がつきました。

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今は石で囲った井戸の跡が残るばかりですが、かつてはご利益のあるこの水を、人々は大切に飲んでいたようです。

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【魚鳥池】
洞の海を北西に進むと、今は田園風景広がる洞北・払川地区にでます。
今は陸地が広がっていますが、太古の昔はここも海だったようです。
が、当然深さはさほどなく、皇后の船がここを通過しようとした時、引き潮のため船底が地に着き、船が進まなくなってしまいます。

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田園広がる中に「魚鳥池之碑」(ぎょちょうがいけのひ)という石碑がありました。

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1月の寒空の中、皇后の船が進まなくなりました。
仲哀天皇の一行は次の合流地「岡の水門」にすでに着いています。
そんな焦りから神功皇后は怒り、付き従う者共を罵ります。
神功皇后はまだ若く、シャーマン特有の繊細さも相まって短期でヒステリックな一面もあったようです。

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そんな最中、先に「岡の水門」に着いた仲哀天皇一行の「熊鰐」(くまわに)は皇后を出迎えに洞の海を逆行していきます。
そこで熊鰐が目にしたのは浅瀬に乗り上げ、動かなくなった皇后の船とヒステリックに罵る神功皇后の姿。
血の気が引いたことでしょう。
慌てて熊鰐は石垣を築いて池を作らせます。
そこに魚、鳥を遊ばせ、皇后の気を静めさせました。

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囲った池で魚を放すというのは理解できますが、鳥を遊ばせるというのはどういうことなのでしょうか?
それはこの近くの地名に答えがありました。
「鵜の巣」という地名が残っており、皇后の前で鵜飼いをやって見せたようです。
神功皇后は鳥や魚が群れ遊ぶ姿にようやく機嫌を直したそうです。

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魚鳥池之碑から北に350mほど進んだところに「魚鳥池神社」があります。
機嫌を直した皇后は船を降り、輿に乗ってこの丘まで移り、潮が満ちるまで魚や鳥が群れるのを眺め楽しんだそうです。

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「魚鳥池神社」は素朴でアットホームな雰囲気の神社です。

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寒空の中でもてなす熊鰐の心遣いに、皇后の心持ちも和らいだことでしょう。

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境内からは魚鳥池之碑が見えました。

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潮が満ちて無事出航した皇后は、岡の水門を目指す途中、少し寄り道をします。

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【貴船神社】
かつては海だったであろう、田園の中を走り、ぐるりと迂回したところにありました。
奥まったところにあり、目印もないので見つけるのは困難です。

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貴船神社本殿へと上がる参道の道すがらに神功皇后の足跡がありました。

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「神功皇后船留之松跡」とあります。

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今は完全に陸地ですが、かつてはここまで海があり、皇后が船をここに留めた松があったのでしょう。

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御祭神は「闇淤加美」(くらおかみ)「高淤加美」(たかおかみ)という龍神です。
皇后はなぜ本来のルートから外れて、こんな奥地までわざわざやってきたのか。
それはおそらく、ここが「熊鰐」の聖地だったからでしょう。
「魚鳥池」で一働きしてくれた熊鰐のため、彼の聖地で祭祀を行ったのだと思います。
ヒステリックな一面もありながら、他を思いやる優しい一面もある神功皇后、これこそが彼女の魅力かと思います。

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ここ貴船神社にはもうひとつ、切ない伝承がありました。
とある商人が出会った一人の女性、それは600余年生き続けた女性でした。
女性は明日をも知れない病にかかった時、孝行な子供たちが「ほら貝」を取って帰り、食べさせてくれます。
そのおかげか、病も癒え、その後病気ひとつしなくなりました。
しかしその後歳をとることもなく女性は600余年も生き続けることになり、
夫や子に先立たれ、自分は死ぬことも叶わず、諸国の神社や寺院をお参りして渡り歩いて今に至ります。
その女性が里を出る時に、不老長寿になったほら貝の貝を納めた小さな祠がこの貴船神社だそうで、
それを子孫に伝えて欲しいと商人に託しました。
現在、毎年4月15日にこの貴船神社でご神体のほら貝からお神酒をいただくという「ほら貝祭」が行われているそうです。

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