比叡山延暦寺-四大魔所

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最澄が開いた比叡山延暦寺は京の都の北東にあります。
つまり京都の鬼門を守っている形になっています。
そんな比叡山にはなんと、魔界に通じる4つの場所があるといいます。

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【天梯権現祠】
比叡山への古い参拝ルートのひとつ、坂本から根本中堂へ至る道は「本坂」と呼ばれています。
その途中に「天梯権現祠」(てんだいごんげんほこら)というのがあると聞きました。
その祠のある小山には天狗が棲んでいて比叡山と中国の天台山を行き来したと云います。

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天梯権現祠へ行く本坂は東塔地域の外れにあります。
その坂は想像以上に急勾配で、転げ落ちるように降りていきます。

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降りる、ということは、登って帰ってこなくてはならないということです。

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しばらく降りると「法然堂」があります。

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法然は天台宗では通念となっていた「法華経」をナンバーワンとせず、「南無阿弥陀仏」と唱える浄土宗を開いた人です。

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更に下りていくと、天梯権現祠への目印となる「亀堂」が見えてきました。

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朽ちかけたような堂がそれです。

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本来は「聖尊院堂」というそうですが、

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その側に亀の碑があるので、亀堂と呼ばれているようです。

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薄暗い森の中で、朽ちたお堂も、亀の石碑も、一種異様な雰囲気を醸し出しています。

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ここから道がありましたので歩いていきます。

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またぐんぐん降りていきます。

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と、何か見えてきました。

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墓です。
それも両サイドにぎっしりと。
魔所の様相を帯びてきました。

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そしてその奥には、

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ついに目的の地に着いたようです。

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こんな山奥のひと気のないところに、あのお墓の群れとこの祠、冷たい汗が脊中を濡らします。

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何やらこちらを窺われている感じがします。
んー…

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ん?「慈覚大師」?!?
そう、やっちまったのです。
「亀堂」までは良かったのですが、そこから「天梯権現祠」は別の道にあったようです。。まじか。

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慈覚大師は「天台密教」の完成者「慈覚大師円仁」のこと。
延暦寺開祖の「最澄」、天台中興の祖「元三大師」と合わせて、比叡山初期の欠かせない人物です。

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思いがけず目的地を外してしまいましたが、これも比叡山の隠れた聖地の一つ、労に見合うだけのものは見れました。

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そして改めて亀堂までやってきました。
天梯権現祠への道は亀堂からまっすぐ丘を登る道の方向でした。

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しかしそれは最初は道の様相を見せていたものの、次第に獣道のようなものになり、わずかに人が歩いた形跡を辿るような、困難なものとなりました。

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道の途中で忽然と、祠のようなものがあります。

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これを目印に、丘の上を目指すのですが、僕はそのまま直進し、あやうく比叡の深い森に迷い込むところでした。

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これはまた間違っているとギリギリ察した僕は、なんとなく妖しげな匂いを嗅ぎつけ、無事、天梯権現祠へたどり着くことができました。

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この小さな社が天梯権現祠です。

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社の上には、樹木が鬱蒼と茂っています。

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この小山が、天狗が棲んでいて比叡山と中国の天台山を行き来した場所です。
ここに暫く佇んでいると、どこからともなく、人ならざるものの声が聴こえたような気がしましたが、
それはきっと気のせいです。

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天梯権現祠、侮ってかかると本気で遭難します。
ご訪問は気をつけて。

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なんとか下界に戻ってきた僕を、美しい紅葉が待っていてくれました。

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【慈忍和尚廟】
さて、気を取り直して、東塔の根本中堂に行きましょう。
不滅の法灯の炎の揺らめきを見ながら、心を慰めます。

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根本中堂裏手から少し下ると「総持坊」という建物があります。

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そこに変なものがかかっています。

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一つ目一足の妖怪です。
この妖怪、実は「慈忍和尚」(じにんかしょう)の死後の姿だといいます。

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慈忍和尚の廟、お墓が比叡山の横川地区外れ、「飯室谷」という場所にあります。
飯室谷には「安楽律院」という、廃寺だけどとても雰囲気の良い場所があります。
そして「飯室谷不動堂」というところは「千日回峰行」と呼ばれる厳しい修行の起点となる場所です。

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不動堂には「明王水」という聖泉が湧いてました。

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その不動堂の奥に、「慈忍和尚」の廟がありました。
慈忍和尚とは元三大師の高弟で19代天台座主となった人です。
とにかく修行に明け暮れた人だったようです。

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その慈忍和尚の墓所が比叡の魔所と呼ばれているのには、次のような伝説があります。
修行を重視した慈忍和尚は、自分の死後も比叡山の戒律に厳しく、一つ目一つ足の妖怪の姿になり山々を見回っていたそうです。

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「山僧よ、僧の本分を忘るることなかれ」と怠ける僧をたしなめ、時には山から追い返したそうです。

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身を魔道に落としてまでも比叡山を守ろうとした慈忍和尚、その墓石はどことなく愛嬌のある、妖怪の姿に似ていなくもなく感じました。

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【元三大師御廟】
横川地域にある「元三大師堂」の奥に「箸塚弁財天」というお稲荷さんがありました。
そこからぐるりと元三大師堂の裏手に行く道があります。

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獣道のような道をしばらく歩きます。
元三大師と言えば、「降魔大師」と呼ばれ、凄まじい法力の持ち主で、魔と対峙する時には自分の姿も魔物に変じたと云います。

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疫病で苦しむ人々を憂いた時、その身を「角大師」と呼ばれる異形に変じました。
その姿に病魔も恐れて逃げ出したのだとか。

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その大師の御廟が横川地域の北東の果てにありました。

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ひっそりと人知れず佇むお堂。

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鳥居とお堂という、なんとも不思議な組み合わせです。

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その裏手にありました。

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こんなにひと気はないのに、塵一つなく掃き清められています。

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魔所とは言いますが、とても神聖な空気が流れます。

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しかしその墓石の周りは笹や雑草が無造作に生えています。

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ここは京都の北東、鬼門にあたる比叡山の中の更に北東、横川地域にあります。
そして更にこの「元三大師御廟」(がんさんだいしみびょう)は横川地域の北東の果てにあるのです。

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つまり魔が入り込む入口の最前線にあたるこの場所に、大師は眠っているのです。
大師はここに葬られることを望み、また墓所は荒れるに任せるよう遺言を残します。

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自分の役割を死後までも全うしようと、今もここで静かに眠っておられるのです。

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【狩篭の丘】
比叡山ドライブウェイの道路沿いにある小さな広場、そこに「狩篭の丘」(かりごめのおか)という看板が立っています。
看板と言っても小さく立てられているだけで、特に説明板もなく、道路からは目にも入りにくいため、ほとんどの人が素通りします。

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そこにはやや大きめの円錐状の石が3つあるだけの、何の変哲もない広場となっています。

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実はここが4番目の魔所だといいます。

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比叡山延暦寺の公式本には四大魔所の表記はなく、三大魔所となっているそうです。
この「狩篭の丘」は公式にも秘された魔所なのです。
なぜならここは、最も危険で恐ろしい場所だからです。

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この3つの石を結ぶ線は正三角形になっています。

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比叡山の開祖、伝教大師「最澄」はある時、都の南東「巽」にいる魔物を狩り獲ります。
そしてその魔物を封印したのが都の北東「艮」の比叡山でした。

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そしてその封印の場所こそが、この「狩篭の丘」なのだそうです。
この石の中心に魑魅魍魎、魔物が封じられています。
今も千日回峰行を行う僧が真夜中にここを通り過ぎる時は、ここで提灯の蝋燭を取り替え、
古い蝋燭を石のそばに置いて法華経を唱えながら立ち去るのだそうです。

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