大分八幡宮〜神功皇后紀 32

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まだ肌寒さを残す頃、梅の花が咲き、桜は固い蕾を膨らませる。
神功皇后らは雪解けを待って険しい峠越えを決行した。
皇后自ら、竹で編んだ籠に紐をつけて背負い、そこに皇子を入れて運んだ。
そうして辿り着いた平地が大分の村だ。

宮に軍隊が到達して幾日か過ぎた日の朝、一同は集められた。

「皆の者、ここに集う者よ、皆ご苦労であった。
仲間を失った者も、体に傷を負った者も多くいることだろう。
筑紫を平定し、新羅に攻め入った此度の戦は天啓によるもの。
戦の最中に我が胎内にいた、この皇子のためでした。

神は約束してくれました。
我が皇子が、国を統べ、異敵から国を守り、民に富をもたらす王となろうと。
皇子が王となるまでには、まだ幾多の困難もあり、時も必要です。
しかし私は、必ずやこれを成してみせます。

私と皇子は、今から大和へと戻る旅に出ますが、
皆の今日までの尽力を忘れることはありません。
戦いで得た戦利品は皆に分け与えます。
都に戻れば、報いるだけの褒賞も用意させましょう。
さあ、皆よ、ここでお別れです。」

「姫様、またいつか、そのお顔を拝し奉ります」
「姫様、…」

兵士たちは口々に言い合い、神功皇后との別れを偲んだ。

春の空は爽やかに晴れ渡り、一陣の風が丘を吹き抜けた。

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【うぐいす塚】
宇美から飯塚を越えて中津の海へ出るには、まず「ショウケ越え」をするのが、今も最短距離です。

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「ショウケ」とは竹を編んだ籠に紐をつけて、背負えるようにした物のことです。
宇美で出産を終えた神功皇后は、生まれたばかりの応神天皇をショウケに乗せて、この峠を越え、大分に至りました。
以来ここを今も「ショウケ越」と云います。

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ショウケ越えをした先に、「うぐいす塚」という場所があります。

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そこは小さな塚になっています。

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ショウケ越で大分に着いた神功皇后は、ここで軍勢を解散し、それぞれの故郷に帰らせます。
軍隊が分かれたので「大分かれ」となって地名の由来になっています。

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【大分八幡宮】
太宰府・宇美から進んで飯塚の入り口に大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)があります。

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のどかな石畳が続く細道に、赤い玉垣が印象的です。

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一ノ鳥居横に、祭壇のような四角い石があります。

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訪れてみると、小さな集落に立派な神社があり、びっくりします。

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狛犬も勢いがあり、逆立ちしています。

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境内に「市杵島神社」がありました。

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乳白色の池があり、

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そこに浮かぶ小島に祀ってあります。

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可愛い社です。

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神功皇后が皇子に使った産湯の井戸がありました。

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今も水を湛えているようです。

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御神木です。

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コブが印象的な大木です。

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宇佐神宮の社伝によると、「大分宮は我本宮なり」と神勅があったと記されています。

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また、宇佐神宮・岩清水八幡とともに日本三大八幡宮の一つである箱崎宮は、923年に、大分宮が箱崎の地に遷座したと伝わります。

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つまり大分八幡宮は、宇佐神宮の本宮であり、箱崎宮の元宮となります。

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これほど格式・由緒をもちながら、案外と人に知られていない大分八幡宮。
実際僕も、ここを知ったのは割と最近になってからのことです。

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お正月に訪れてみると、蔵が開かれており、数々の絵馬を見ることができました。

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かなり古い絵馬ばかりです。

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神社の由緒古さを物語ります。

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本殿の裏手に丘があり、階段が続いています。

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神殿裏山は皇室古墳埋蔵推定地になっているそうです。

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裏の丘登ってみると、大分八幡宮境内を一望できます。

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さらに奥に何かあるようです。

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丘の奥にひっそりとある小さな祠は、大分八幡宮の古宮跡ということです。

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そこは小さな祠があるばかりですが、

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なんとも不思議な、清い空気に満ちていました。

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【稲築八幡宮】
飯塚にある「稲築八幡宮」も神功皇后が立ち寄った場所と伝わります。

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石段を上った先に随分コンパクトな石灯籠がありました。

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神功皇后一行は都に帰る途中、この地に寄りました。

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急なことだったので、人々はあわてて稲束を敷いて座敷を作り、お迎えしたそうです。

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即席のもてなしではありましたが、神功皇后はとても喜ばれたということです。

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【撃鼓神社】
飯塚の「撃鼓神社」(げっこじんじゃ)は古くからある、由緒ある神社です。

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撃鼓神社は白旗山中腹にある「上宮」と山裾にある「下宮」からなります。

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古くは上宮を「鼓打権現」、下宮を「笛吹権現」と呼んでいたそうです。

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こちらは下宮の「笛吹権現」ということになるでしょう。

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御神木も立派です。

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奥に「乳の池」というところがあります。

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神功皇后が新羅征伐より御凱旋の後、この池の水を汲んで授乳の祈願をされたので、この池を乳の池と呼んでいるそうです。

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産婦の乳が少ない時、池の水を汲んで祈願をすれば直ちに霊験があると云います。

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さて境内には上宮へ向かう階段があります。

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苔むした石段の道を登って行くことになります。

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長い石段を登りきったところに、祠がありました。

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上宮の「鼓打権現」です。

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この両権現は神功皇后が三韓出兵の際の神楽奉納で囃子の太鼓・笛を指導した神だと云われています。

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とても静かな場所ですが、耳をすますと祭囃子が聴こえてきそうでした。

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【曩祖八幡宮】
飯塚の町中にある「曩祖八幡宮」にも神功皇后の伝承があります。

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山門にある狛犬が見事です。

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大分八幡宮で兵たちと別れた神功皇后は、飯塚に帰る兵士らと納祖の森までやってきます。

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そこに祭壇を設けて天神地祇を祀り、長年つき従った九州の臣たちと別れを惜しんだと伝えられます。

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このとき、人々が「いつか再び玉顔そ拝し奉らん」と口々に言い、この「いつか」が「飯塚」の名の由来となったと云います。

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神功皇后と兵士らが再開を誓った場所に石碑が立っていて、今なお熱い思いが伝わってきます。

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境内奥に稲荷神社がありました。

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「曩祖」とは「祖先」という意味だそうです。
太古から紡がれる思いが蓄積しているような場所でした。

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【綱分八幡宮】
飯塚にある「綱分八幡宮」(つなわけはちまんぐう)には皇后が三振りの宝剣をかめにいれて埋めたという伝説が残されてます。

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伝説の通りに庄内郷13村の土地を掘ってみると、宝剣やその他の宝が発見されたと云います。

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その三振りの宝剣を応神天皇・神功皇后・仲哀天皇の御神体として村の守り神とし祀られた事から綱分八幡宮の誕生に至るそうです。

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広々とした境内に本殿へ続く階段があります。

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出産後の皇后は、宇美町から宇佐の地を目指した道の途中、金石山のふもとの金丸村で休みます。

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その時、金石山を見て「これは三面宝珠の神山だ」と言って剣を三振り作らせ、奉納したそうです。

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また、神功皇后は安産のおまじないとして産綱を分けてお祀りした事から、その土地を「綱分」と呼び、「綱分八幡宮」と名付けられたとされます。

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産綱(うぶつな)とは妊婦さんが出産の時につかまる綱のことだそうです。

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金石山の遥拝所がありました。

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【日若神社】
飯塚と田川の間あたりにある「日若神社」(ひわかじんじゃ)は霊泉流れる神社です。

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境内に入ると、しっとりとした空気に包まれます。

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神功皇后がここのを霊泉が立派であることに感激し、皇子と共に息災延命を祈願して禊をした霊場であると伝わります。

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またここに流れる水はイザナギが生み出したもので、自ら生み出したもので最も旨くパワーがあると言ったそうです。

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神武天皇も霧で立ち往生した時に、この霊泉を持って祭祀すると霧が晴れたと云います。

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神功皇后はこの神池神森を「ただならぬところ」であると言ったので現在の多田の地名になったと伝わります。

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本殿の裏に、その霊泉の水が流れる川があります。

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神功皇后と皇子は、ここで禊をしたのでしょうか。

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立ち昇る水の気を浴びて、穢れが払われたような、清々しい気持ちになりました。

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