園城寺・三井寺

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琵琶湖の南西、比叡山に連なる長等山の麓に、天台寺門宗の総本山「園城寺」(おんじょうじ)があります。
園城寺には天智・天武・持統天皇の三帝の誕生に用いられた産湯の霊泉があることから、「御井の寺」と呼ばれ、今は「三井寺」の愛称で親しまれています。

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立派な大門が迎えてくれます。
この大門は、元は石部町の常楽寺の山門でしたが、伏見城に移築され、その後徳川家康が園城寺に寄進したと云います。

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大門入ってすぐにある「釈迦堂」(園城寺食堂/じきどう)は、御所の清涼殿の建物だったそうです。

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三井寺の境内・伽藍は広大で、見て回るには時間を要します。
重要文化財も多く、一つ一つの建物に圧倒されます。

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やがて国宝の「金堂」が見えてきますが、すぐそばで、腹に響く鐘の音が聴こえてきます。

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音の主であるこの鐘は、弁慶引摺り鐘の後継として1602年(慶長7年)に鋳造された「三井の晩鐘」です。

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300円でひと突きできます。

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シンプルながら重厚で美しい鐘です。

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三井の晩鐘は近江八景、日本三名鐘、日本の音風景百選に数えられ、「音の三井寺」と呼ばれる所以となっています。

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では、僕もひと突きさせていただきます。

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現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されました。
三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇る金堂は国宝に指定されています。
本尊は弥勒菩薩です。

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三井寺は、672年に「大友皇子」(天智天皇の子)と「大海人皇子/天武天皇」(天智天皇の弟)との間に起こった「壬申の乱」の後、この戦いで敗れた大友皇子の息子「大友与多王」が父の霊を弔うために創建した寺と伝わります。

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金堂の手前には、ひときわ目立つ石灯籠が置かれています。

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この「堂前灯篭」の台座下には、大化の改新で蘇我氏を打ち滅ぼした天智天皇が罪障消滅のため、自ら左薬指を切り落とし納めたと伝わります。
指を切り落として罪を消さなくてはならないほどの所業だったということでしょうか。

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そして金堂の裏手に、三井寺と呼ばれるようになった由来の霊泉「閼伽井屋」(あかいや)があります。

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中を覗くと、石に囲まれて今も水が湧き出ています。

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天智天皇、天武天皇、持統天皇の産水を摂ったと云われています。

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「弁慶の引き摺り鐘」というものがありました。
三井の晩鐘の前は、この鐘が吊り下がっていました。
その昔、俵藤太が三上山の大百足を退治したところ、琵琶湖の龍神が感謝して授けたものと伝えられている鐘です。

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山門との争いに勝利した弁慶が比叡山までこの鐘を引き摺り上げたそうで、その時の傷が残っているということです。

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一切経蔵という建物があります。
元は山口県国清寺にあったものを、毛利輝元が1602年(慶長7年)に移築したと伝わります。

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一切経蔵とはは仏教のすべての経典を収めたお堂のことですが、ここでは一切経の版木を収めた八角形の輪蔵が回転して取り出す事が出来るようになっています。

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さらに進むと、三重塔が見えてきました。

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と、こんな看板を見かけました。

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そう、三井寺では、その広大な敷地と歴史ある建造物が、様々な映画の舞台となって撮影されたのです。

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たしかに、るろ剣でもこの景色見た覚えがあります。

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三重塔は、豊臣秀吉が伏見城に移築した大和の比蘇寺の塔を、1600年(慶長5年)に徳川家康が三井寺に寄進したと云います。

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桃山時代に建立された潅頂堂は、素朴な姿を今に残しています。

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さて、ここから敷地内を一気に歩き進みます。

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観音堂とありました。

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石の階段を登ります。

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立派な観月舞台がありました。

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駆け足で見てまいりましたが、まだまだ見所はあるようです。
半日かけてゆっくり見て回りたい所でした。

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