琵琶湖の南端、賑わう大津市内にあって、瀬田川のせせらぎとともにしっとりと建つ古寺、それが紫式部ゆかりの寺「石山寺」(いしやまでら)です。
「花の石山寺」と謳われる当寺は季節を選べば花々咲き乱れる景色を堪能できることでしょう。
残念ながら、僕が訪れたのは木枯らし吹く2月のことでした。
長い参道を歩いていると、天平時代に造られたという池の上に、
大理石の天然くぐり岩があります。
広い境内には、やはり花は見られませんでしたが、固い蕾が静かに春の訪れを待っています。
毘沙門堂です。
いくつかの御堂を過ぎると大きな岩の庭園に突き当たりました。
聖武天皇の発願で、僧の良弁によって747年(天平19年)に開山された石山寺は、この本堂の下にある天然記念物の「硅灰石」(けいかいせき)がその名の由来となっています。
日本でも有数の観音霊場として知られ、平安時代に奈良の「長谷詣」や京都の「清水詣」と並び、人気を誇ったのが「石山詣」だと云います。
国宝に指定される本堂は素晴らしく、風格と情緒を醸しています。
西国三十三箇所観音霊場第13番札所であり、本尊は如意輪観音、真言系仏教宗派のひとつ東寺真言宗の寺院であるということです。
この石山寺に魅了された歴史上の有名人は数知れず、清少納言の「枕草子」や藤原道綱母の「蜻蛉日記」、和泉式部の「和泉式部日記」、菅原孝標女の「更級日記」という錚々たる著作・歌の中で、石山詣や石山寺について触れられています。
しかし何と言っても、この石山寺にゆかりある著名な歴史人といえば「紫式部」であり、彼女はここに篭り続け、日本文学史上最高傑作と言われる「源氏物語」を生み出したと云います。
この「源氏の間」で、紫式部は物語の構想を練っていたそうです。
本堂から硅灰石の上を歩いて登ります。
石山寺の境内もとても広く、隅々まで見て回るには半日を要します。
僕は時間の都合上、主だったところだけ見て回りました。
登りつめたところにある多宝塔です。
美しいこの塔は建久5年の建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔であると云います。
国宝に指定されていて、内部には快慶作の大日如来像を安置しているそうです。
多宝塔は源頼朝の寄進と伝えられています。
また松尾芭蕉、島崎藤村など、古人を魅了し続けた石山寺。
その石山寺で天空に突き出た建物がありました。
「月見亭」です。
紫式部は、石山寺から見る中秋の名月を愛でながら、源氏26歳から28歳頃を描いた「須磨」「明石」を一息に書きあげたと云います。
そこには今も、平安の風が吹いているような所でした。