山口県長府の、やや奥まった所に歴史ファンに愛される「功山寺」(こうざんじ)があります。
元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の菩提寺となってからのことだと云います。
幾度となく激動の歴史の舞台になったところだと云いますが、敷地内を歩いていると、今は安らかな時間が流れているのを感じます。
毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所であり、
高杉晋作が、奇兵隊の賛同もないまま、伊藤俊輔(博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人で挙兵した地でもあります。
鎌倉時代創建、唐様建築の美しい仏殿は、わが国最古の禅寺様式を残しており国宝に指定されています。
幕末の維新志士らが厚く参拝したことでしょう。
境内の裏には毛利家墓所、大内義長の墓、坂本竜馬の護衛を務めた長府藩士三吉慎蔵の墓などがあります。
それは歴史を長きにわたって、じっと見つめているようでした。
下関の海岸沿いに、人知れず小さな井戸があります。
「平家の一杯水」と呼ばれるその井戸は、壇之浦の合戦で負傷した平家の武将の伝説が伝わる湧き水だと云います。
武将がやっとの思いで口にしたその水は、一口目はおいしい水でしたが、もう一口含もうとした二口目は海水に変わっていたといいます。
この井戸は、干潮のときには火の山からの伏流水が、真水で流れ出し、満潮のときには海水で満たされるとのことで、これが伝説のもとになったようです。
平家の一杯水は毎年大晦日の夜に汲み上げられ、赤間神宮の安徳天皇へお供えされています。