「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀(ほとけうた) 人の世ならぬ処なりけり」
青森の先端に近い場所、下北半島にある「仏ヶ浦」(ほとけがうら)は、
海岸沿いに2キロメートル以上に亘り、断崖・巨岩が連なる海蝕崖地形です。
緑色凝灰岩を主とした岩石が非常に長い間の海蝕を受けた結果形成されたものであると云います。
仏ヶ浦はクルージングで訪れるのが簡単です。
しかし頑張れば、徒歩で上陸することもできます。
先ほどの展望台からの写真を見ていだたければお分かりですが、断崖絶壁です。
15分ほどの遊歩道という名の山道を下らなければなりません。
熊だって出ちゃいます。
降りると言うことは、帰りは登ると言うことです。
しかも、下りさえもしんどい道です。
やがて見えてきました。
まるで砂浜に作ったお城のようです。
砂浜に出る直前の岩の穴にお地蔵さんがいました。
ようやく降りてきました。
地蔵堂が建っています。
降りたところは「極楽浜」と呼ばれます。
奥の中央の岩は「観音岩」。
左の「ぬりかべ」みたいな岩は「屏風岩」です。
屏風岩は近づくと食べられそうです。
屏風岩を通り過ぎると地面から浮かんだ岩がありました。
ミラクルです。
右端には「五百羅漢」と言われる岩が見えます。
この方向が展望台があった場所です。
再び極楽浜に戻ってきましたが、たぶんこちら側がメインディッシュ。
歩いていくと、岩がどんどん大きく見えてきます。
人影がわかるでしょうか。
人間がゴミ豆のようです。
大きな岩は「帆掛岩」30m。
この亀が頭を持ち上げたような岩は「如来の首」と言います。
如来の首のように見えるからです。
かなり目立っています。
迷路のような回廊。
これ、あれです。
ガウディさんちで見ました。
まんまサグラダなファミリアじゃないですか。
この岩は「天竜岩」と言います。
高さ20メートル以上もある岩の頂上が竜が天に登るように見えることから名前が付けられたそうです。
「蓮華岩」です。
ハスの花のようです。
「ヘイ彼女岩」です。
小指を立てているように見えます。
僕が今名付けました。
大体の人はこの辺りで引き返します。
遊覧船で上陸した人も、船の時間があるのでしょう、15分ほど上陸してこの辺りで引き返していきます。
が、男なら進むべきでしょう。
青い海が、背中を押してくれます。
やばいです。この迫力。
しかもなんか亀裂入ってないですか?
この岩を形成する緑色凝灰岩は、かなりもろいと聞いてます。
今にも崩れ落ちるんじゃね。
この岩は「蓬莱岩」と言います。
高さ90メートル。
そして蓬莱岩と岩の間に窪みがあります。
実はここ、激レアスポットです。
干潮時以外は海に覆われ、奥に行くことができません。
干潮時でさえ、進むのは困難です。
服を汚す覚悟で進みます。
しかし僕は壁沿いに、ギリギリ伝って進みました。
登山シューズだったのも幸いでした。
忍者のように、華麗に進みます。
で、ここ。
この水、「不老長寿の水」だそうです。
飲みました。
こんなに海のそばなのに、しょっぱくありません。
むしろ甘みを感じるほどです。
神秘的ですね。
さらに先はこんなになってます。
さすがにもう、先には進めません。
シャア専用的な岩が立っています。
「シャア専用岩」です。
「一ッ仏」と言うそうです。
遊覧船のご一行が見えてました。
見えるでしょうか、まるでゴ豆のようです。
仏ヶ浦は、古くは「仏宇多」(ほとけうた)、「仏宇陀」(ほとけうだ)と呼ばれていました。
これは「仏のいる浜」を意味するアイヌ語だそうです。
また、恐山の「奥の院」ともいわれ、恐山参拝の帰りに、この海岸まで巡拝したと云います。
恐山の真西に位置する仏ヶ浦は、浄土の方向にあり、この世で亡くなった者の魂は、この場所を通って天に旅立つと信じられていたのです。
冒頭の句は、大正11年の夏に、文人で紀行家としても知られる大町桂月がこの浜を訪ね残したものです。
仏ヶ浦が広く世に知られるようになったのは桂月の功績によるものと云います。
帰り際、洞穴のようなものを見つけました。
やはり祭祀のような跡があります。
一度見たら忘れられないような世界が仏ヶ浦には広がっていました。
ひとしきり感動して、そして僕は下界へと戻っていきます。
あの死ぬような思いの坂道を登って。