「人は死ぬと恐山に行く」
「高野山」「比叡山」と並んで日本の三大霊場と呼ばれる「恐山」は、他の霊場とはまた異質な、特異な場所です。
恐山の案内では、地蔵殿本尊の「伽藍陀山地蔵大士」、境内北に祀られている奥之院「不動明王」 、釜臥山奥之院の「釜臥山嶽大明神」の三聖地をお参りすると、満願が成就されるとありました。
なのでまずは奥之院から参拝してみることにします。
恐山へ向かう途中の山道横に「恐山冷水」という冷たい湧水が流れているところがあります。
恐山の冷水は昔から「1杯飲めば10年、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで若返る」と言われる水です。
天然のヒバの木々が立ち並ぶ森と冷水は、俗世と霊界との境界となっています。
ここは天然の手水舎なので手口を清めて、霊場へと足を踏み入れます。
恐山霊場へと向かう前に、少し寄り道をして「釜臥山」(かまぶせやま)山頂へ向かいます。
10kmほど山道を進むと広い駐車場がありました。
そこからレーダーのある山頂を目指して登ります。
15分ほどの遊歩道を登りますが、勾配はきつめです。
山頂に小さな石の祠が建っていました。
釜臥山奥之院の「釜臥山嶽大明神」です。
お釈迦様のようです。
また山頂には「兵主神社奥宮」という祠もありました。
ここから陸奥湾が見えましたが、雲が迫って、すごい光景になっていました。
さていよいよ霊場が近づいてきましたが、
異様な二人がお出迎えしてくれてました。
「奪衣婆」(だつえば)と
「懸衣翁」(けんえおう)です。
人は死ぬと三途の川にやってきますが、そこに「奪衣婆」が待ち構えていて、身ぐるみをはがしてしまいます。
その衣類を「懸衣翁」が受け取って、かたわらの柳(衣領樹)の枝に懸け、その枝の垂れ具合で、生前の悪行の軽重を推量します。
この後、死者は閻魔様の前にでて、地獄か極楽か、どこに行くのか言い渡されます。
三途の川、渡ってみます。
その水のなんと美しいことか。
「宇曽利湖」(うそりこ)です。
おっと、渡りきってしまうところでした。
ここで引き返したのでセーフです。
霊場が見えてきました。
門前で大きなお地蔵様が出迎えてます。
恐山を開山したのは平安時代中期の慈覚大師「円仁」(じかくだいし・えんにん)だと伝えられています。
円仁は天台宗の開祖である最澄の弟子で、唐へ渡り密教を日本へ持ち込んだと言われる入唐八家(円仁・最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)のうちの一人です。
円仁は唐への留学中に「東へ向かうこと三十余日、霊山ありその地に仏道をひろめよ」という霊夢を見ます。
帰国後すぐに霊山を探し求め、この恐山を発見したそうです。
「伽藍陀山地蔵大士」が安置されている恐山地蔵殿です。
地蔵殿の横からもう一つの奥之院を目指します。
荒涼とした道の先に参道があります。
恐山には二つの奥之院があります。
こちらは「不動明王」。
二つの奥之院と地蔵殿は一直線で結ばれるそうです。
不動明王は本堂地蔵菩薩の化身とされます。
地蔵の「地」は「大地」を表し、「蔵」は命を生み出す「母胎」「母の心」を表します。
恐山の地蔵菩薩は、釈迦如来の慈悲心と不動明王のあらゆる煩悩を打ち砕く不動心を併せ持っているということらしいです。
「恐山」という単独の山は存在せず、外輪山(釜臥山・大尽山・小尽山・北国山・屏風山・剣の山・地蔵山・鶏頭山)に囲まれた宇曽利湖を中心としたこの地全体が「恐山」となります。
かつては「宇曽利山(うそりやま)」と呼ばれていたそうですが、いつしかそれが訛って「恐山(おそれやま)」と呼ばれるようになったそうです。
外輪山に囲まれた恐山は、まるで蓮華の花の中に在るようでした。