安倍晴明公嵯峨墓所

投稿日:

p9052262-2017-09-13-09-20.jpg

平安時代、稀代の陰陽師「安倍晴明」(あべの せいめい / はるあきら / はれあき、921-1005)は、摂津国阿倍野、また、大和国桜井の安倍に生まれたと云います。
晴明は当時の陰陽師、「賀茂忠行」・「保憲」父子に陰陽道、天文道を伝授されますが、若き晴明は湯水を注ぐようにそれを修得していきました。
第61代「朱雀天皇」の信を得て以来、第66代「一条天皇」など6代の天皇に仕え、また藤原道長の信も得るに至り、安倍氏は、賀茂氏と並ぶ陰陽道の家となります。

p9052257-2017-09-13-09-20.jpg

室町時代の相国寺僧「瑞渓周鳳」が書いた日記「臥雲日件録」(がうんにっけんろく)に、嵯峨野の東北が安倍晴明の晴明廟であると記されていると云います。
平安の1005年9月26日、安倍晴明は85歳で亡くなり、嵯峨の地に葬られたと云うことです。

p9052267-2017-09-13-09-20.jpg

その嵯峨野にある晴明の墓は、賑やかな京都嵯峨野の町並みからやや外れ、民家ひしめく細い路地の奥に、ひっそりとありました。

p9052266-2017-09-13-09-20.jpg

そこには角倉稲荷神社という社があり、その裏が晴明の墓になっています。
奥には南北朝時代の第98代「長慶天皇」の嵯峨東陵が隣接しています。

p9052258-2017-09-13-09-20.jpg

かつては晴明の墓所とされている地は京都市内だけでも複数あったとされ、安倍清明を祀る「清明塚」は日本中に作られました。
ここも室町時代に数多く造られた「晴明塚」のひとつとみられていますが、京都にいくつかあった晴明の墓所は、現在ではここ以外には残っていません。

p9052259-2017-09-13-09-20.jpg

もとはこの場所は天龍寺が管理し、塔頭・寿寧院の境内にありました。
しかし長い年月の間に荒れ果てていたと云います。

p9052261-2017-09-13-09-20.jpg

現在は綺麗に整えられていますが、それは晴明神社、天社土御門神道、晴明神社奉賛会が協力してこの土地を譲り受けて、昭和47年、安倍晴明公嵯峨墓所として神道式のお墓を建てたそうです。

p9052264-2017-09-13-09-20.jpg

墓の周りに五芒星の刻印がされた玉垣には、ここに協賛された方々の名前が刻まれています。
五芒星は陰陽道で魔よけの印として使われましが、これは陰陽五行説の木・火・土・金・水を意味すし、晴明もよく使ったことから「安倍晴明判」「晴明紋」「清明桔梗」や「セーマン」などと呼ばれます。

p9052263-2017-09-13-09-20.jpg

現在は安倍晴明公嵯峨墓所は公式な安倍晴明墓所となっていて、この場所は晴明神社の飛び地として晴明神社が管理しています。
安倍晴明の命日である9月26日には墓所祭が行われるそうです。
今も晴明を敬う人たちの信仰の場所がひっそりと受け継がれていました。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中