伊万里市の「大川内山」(おおかわちやま)に素敵な神社があるというので行ってみました。
そこは、僕は知らなかったのですが、佐賀「鍋島藩」の御用窯がある焼物の町でした。
江戸時代は技術流出を防ぐために集落の出入り口に関所が設けられ、人の出入りが厳しく制限されていたと云います。
そんな秘窯の里が大川内山です。
大川内山は伊万里市街地から車で10分ほどで行けますが、そこは三方を山で囲まれていて、山深さを感じます。
鍋島藩は優秀な陶工たちをここに集め、その行動を制限して伊万里焼きの技術を秘匿しました。
陶工たちは藩から給料を与えられ、武士と同じよに待遇面ではかなり優遇を受けます。
背後には山水画を思わせるような、切り立った屏風岩がそびえ、そこにひっそりと焼き物の町があります。
このノスタルジックな町を散策するだけでも、かなり楽しいです。
賑やかな藩窯坂を過ぎ、山里の集落の中を進むと鳥居があります。
ここは伊万里焼きの里の氏神を祀る「岳神社」(だけじんじゃ)の参道入口になります。
すぐに拝殿があるのかと思いきや、階段が続きます。
その先の段々畑のさらに先に鳥居が続きます。
そして境内の入り口のような場所がありました。
鳥居の横には岩清水でしょうか、水汲み場が設けられています。
狛犬が鎮座していますが、堂々たる風格です。
凛々しく賢そう。
「のど地蔵」が傍にありました。
さていよいよ拝殿か、と思いきや、またしても階段が続いています。
嫌な予感がします。
延々と続く、急勾配の石段。
これをここから15分ほど登ることになります。
のどかな風景がありますが、景色を楽しむ余裕など、すぐにかき消えます。
人生を二度ほど振り返るころ、ようやく目的地へ到着しました。
手水の冷たい水が気持ちよい。
こんなところまで登ってきました。
そしてくり抜かれた岩の間に拝殿と本殿があります。
拝殿を通り抜けた反対側です。
岩肌にはたくさんの仏像が鎮座しています。
洞窟のような中にも誰かいらっしゃいます。
龍神があり、その先から水の音が聴こえます。
素朴な滝がありました。
岳神社は「権現岳神社」とも呼ばれるようです。
こんな山の中の神社ですが、とても清らかで澄みきっています。
岳神社は、伝説によれば「鎮西八郎為朝」が黒髪山の大蛇退治の時に、「伊弉諾命」(いざなぎのみこと)「伊弉再命」(いざなぎのみこと)を祀ったのが始まりと云います。
鎮西八郎為朝とは「源為朝」(みなもとのためとも)のことで、源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる人です。
身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で剛勇無双を謳われたとあります。
生まれつきの乱暴者で、父の為義によって九州に追放されます。
しかし為朝は九州で手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗ります。
為朝が九州にいるとき、朝廷から黒髪山に棲む、七つの角を持った大蛇を退治するように勅命が下りました。
為朝らは「万寿姫」という十六歳の娘を生贄に出し、大蛇をおびき寄せます。
姿を現した大蛇に為朝は、八人張りの弓に一五束八寸口の矢を番え、放っちました。
この矢は見事、大蛇の右眼を貫き、それが元で大蛇は死ぬことになります。
生贄に名乗りを上げた万寿姫はその後、高瀬の万寿観音として祭られ、約束のお家再興が叶います。
本殿の左横、この場所からとても涼しげな風が吹いていました。
汗だくの体に心地よい。
登りはあまりのキツさに見過ごしていたご神木です。
岳神社、その労力に見合うだけの超秘境スポットです。