「かれ七日ありて後に、其の后の御櫛海辺によりたりき。すなわち、その櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」
荒海を越えた日本武尊は、浜辺であるものを見つけました。
手にしてみれば、見覚えのある一つの櫛。
それは海に身を投げた弟橘比売に、自分が贈ったものでした。
日本武尊が拾った弟橘比売の櫛を埋めて造ったとされる御陵が、東京湾を挟んで川崎市と茂原市に、同じ「橘樹神社」(たちばなじんじゃ)の名前で伝わっています。
神奈川県川崎市高津区子母口にある「橘樹神社」です。
御祭神は「日本武尊」と「弟橘媛」。
古くからの子母口村の鎮守で、かつては立花社ともいわれていたと云います。
橘樹神社の裏手、近くの子母口富士見台の高台にある「富士見台古墳」は、一説に弟橘媛の「御陵」であると伝えられます。
しかし一帯は住宅地が立ち並び、肝心の古墳もほとんどが削り取られ、一部を公園として残すのみになっています。
千葉県茂原市本納にある「橘樹神社」です。
上総国二宮で、神紋は「橘」をかたどったものになります。
決して広い敷地とはいえませんが、綺麗に掃き清められ、気持ちの良い境内です。
こちらの御祭神は「弟橘比売命」となり、
相殿神に「日本武尊」と 「忍山宿禰」 (おしやまのすくね / 弟橘比売命の父)を祀っています。
本殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)の造営、風格があります。
厳つい顔つきの狛犬。
境内に「吾妻池」(あづまいけ)があります。
池の中に小島があり、社が建っていました。
当社の本殿の背後には、弟橘比売命御陵とされる古墳があり、
吾妻池はこの墳墓を造った時に掘った穴の跡であると伝えられます。
本殿の横裏にひっそりと道のようなものが見えます。
この先が弟橘比売命御陵のようです。
敬虔な気持ちで、そっと御陵を登ります。
少し登ると、見えてきました。
鳥居と玉垣に囲まれて、1本の木が植わっていますが、
橘の木と思われます。
その葉は常緑で、「永遠」を意味するといいます。
また初夏の頃、橘は可憐で芳しい花を咲かせるのです。