万葉の昔から歌に詠われた美しく名高い森「老蘇の森」(おいそのもり)。
そのもりに囲まれるようにある神社が「奥石神社」(おいそじんじゃ)です。
参道には独特な茅の輪が掲げられていました。
伝説によると、この一帯は地が裂け水が湧いてとても人が住める場所ではなかったといいます。
そこへ「石辺大連」(いしべのおおむらじ)という人が神の助けを得て、松・杉・檜などの苗を植えたところたちまち生い茂って森になったそうです。
この「石辺大連」は齢百数十を超えてもご壮健だったということで「老が蘇る」→「老蘇の森」と名付けられました。
境内のご神木も隆々としています。
清々しい境内。
御祭神は「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)で中臣氏の祖神です。
本殿は天正9年織田信長が家臣柴田家久に命じて造営させました。
古いながらも未だに威厳を保つ本殿。
当時の信仰の厚さをうかがわせます。
隣には摂社諏訪明神社が鎮座します。
幻妖な雰囲気の老蘇の森。
この老蘇の森にはもうひとつ、切ない伝説が伝わっています。
かつてヤマトタケルノミコトが蝦夷東征に出かけた折、上総の海で荒れ狂う波に遭難の危機に陥りました。
その時、妃の「弟橘姫」(おとのたちばなひめ)は海神を鎮めるため、自ら身を海中に捧げます。
そのとき弟橘姫は懐妊していたのですが、
「我胎内に子在すも 尊に代わりてその難を救い奉らん。霊魂は飛去りて江州老蘇の森に留まり、永く女人平産を守るべし」
と誓って入水します。
これより奥石神社は安産守護の神社とされています。
老蘇の森深くには、確かに弟橘姫の執念にも似た願いが今も宿っているように感じました。