八女津姫神社

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遠くの連なる山々に薄明かりが差し込み、朝霧が淡い紫色に染まる。

「ああ、なんと美しい光景か。あそこには神がおわすのではないか。」

随分と殺した。
恭順か死か、それを迫った。
一度でも反抗したものは決して許すことはなかった。
大和に対する謀反の芽は摘んでおかなければならない。

「はい、女神がおわします。名を八女津姫と申します。いつも深い山の中におわします。
(女神、か…)

少し前、山門の巫女という女を殺した。
名を「葛築目」と言ったか。

「八女津姫は我ら水沼が奉祀いたします道主貴『田心姫』の荒御魂をその身に宿してございます。
この地にて大王自らお祀りくだされば、心安らかになれましょう。」

私のやってきたことに間違いはない。
しかしこの荒み虚しい心はどういうことか。
田心姫よ、この先の私の道をどうか、導いてくれるだろうか。

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【松尾弁財天】
奥八女に棲まう「八女津姫」(やめつひめ)に逢いに行く道行きは、神秘的なパワスポを巡る旅でもあります。

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八女の南入口にある「松尾弁財天」は山村の狭い道を走り抜けた先にありました。

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参道にある石の鳥居や階段は神さびてとても風流です。

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長い石段はややきついものの、流れる小川や草木の美しさに見とれているうちに登り終えました。

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「厳島神社」とも呼ばれる松尾弁財天、御祭神は「大己貴命」です。

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裏手には蛇神がいるという磐座があります。

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「天授4年(1378年)辺春能登守義国に子どもがいなかったため、
弁財天に祈願した時、お告げにより山中にご神像が現れて光を放たれた。
それから女の子をもうけることができたので、光を放たれた所に弁財天を祭った。」

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【霊巌寺の奇岩】
「霊巌寺」(れいがんじ)というお寺の周辺には不思議な奇岩群がみられます。
八女茶発祥の地としても有名です。

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【宝山熊野神社】
奇岩巡りなら「宝山熊野神社」もおすすめです。

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あちこちにえぐれた穴や巨岩があります。

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神の息吹に触れそうな所です。

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【中島弁財天社】
「池の山」と呼ばれる場所にある美しい「麻生池」。

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そこに何ともアンバランスな社があります。

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「中島弁財天社」はとても愛嬌あるルックスが魅力です。

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【日向神峡】
日向の神々がその美しさに見とれて降り立ったと言われる「日向神峡」(ひゅうがみきょう)。
いよいよ奥八女の最奥地に入ってきました。

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天馬が蹴って穴を開けた「蹴洞岩」(けほぎいわ)やハート岩などの奇岩がありますが、かつてはもっと壮大な景色が見られたそうです。

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残念ながら現在は「日向神ダム」の建設により、大きくその景観は損なわれてしまったようです。

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【八女津姫神社】
景行天皇は美しく連なる山々を見て、そこには神がいるのではないか、と尋ねます。
それに答えたのが「水沼」の県主「猿大海」(さるおおみ)。
深い山の中に「八女津姫」という神がいると申し上げます。

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それが「八女」の地名となったそうです。

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八女津姫神社は本当に山深い所にあり、「神の窟」(かみのいわや)という大きな岩窟のそばにありました。

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景行天皇は妻が10人、側女も多数おり、子が80人いたとされます。
九州征伐においては恭順か死かの選択を迫り、反抗するものを徹底的に殺して回ります。
恭順した女王や女首領らに天皇の子をもうけさせ、その子を領主にしました。

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非道なイメージの景行天皇ですが、実は落ち着いた王の風格をもった天皇だったようです。
今の価値観で当時の景行天皇の行為を批判することはできません。
血の結束を強めることが、当時最大の政治だったのだと思いますし、
それを命がけで決行したのが景行天皇だったのでしょう。

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八女は水沼氏の聖地であり、八女津姫は宗像三女神の一人「田心姫」(たごりひめ)の荒魂だといいます。
太古の神が宿る八女津姫には、さすがに景行天皇といえど手は出せなかったでしょう。

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景行天皇はヤマトタケルのモデルとなった大王です。
九州で豊王国(邪馬台国)と連合した物部イクメ王は東征を果たし、大和に物部王朝を確立しますが、支配地は近畿地方だけでした。
イクメ大王と、大和磯城王朝の最後の大王「彦道主」の娘である「日葉酢媛」(ヒバスヒメ)の間には3人の子がいましたが、その一人が「大足彦忍代別大王」(おおたらしひこおしろわけおおきみ)であり、後に「景行天皇」と呼ばれる人でした。

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景行天皇が大王となった頃はまだ権力は弱かったので、大王自らが地方に遠征に出かける必要がありました。
大王は都を空けて、将軍のように九州と東国を制圧していきます。
この時、出雲の神門臣家と富家の者が大王を助け、遠征ののち関東、房総半島に住み着いたそうです。

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万世一系を唱え、大王の力を安定したものに見せたかった記紀は、景行天皇の遠征を隠したかったようです。
その歴史を架空の彼の息子「ヤマトタケル」の物語として創作しました。
その物哀しい物語の一部は、景行天皇のものだったのかもしれません。
彼は祖国大和を離れ、九州の果ての地にたなびく美しい朝霧に、いっときの心の安らぎを得たのです。

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