老松神社(嘉穂):福岡の出雲

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福岡の中にある「出雲」を散策しました。
前原の方に出雲大社の分社もあるのですが、あちらはあまり、出雲感はありません。
嘉穂にはまんま出雲という地名が残っています。

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そのそばである桂川町土師にある「老松神社」は出雲にゆかりがある神社と言えるかもしれません。

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古名を「土師宮」といい、主祭神は「大国主神」です。

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社の記録によれば、大己貴命が少彦名命と力を合せ、心を一つにして天下を造る時、この地に行幸し、しばし留まったとあります。
後に出雲より土師連がここに来て「土師宮」を祀ったと伝わります。

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毎年4月と9月に行われる例祭では、福岡県の無形民俗文化財に指定されている「土師の獅子舞」が行われるそうです。
この獅子舞は鎌倉時代の嘉暦3年(1328年)に始まったとされ、その歴史の長さから福岡県下の獅子舞のルーツの一つと云われています。

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境内に一風変わった御神木があります。
二つに割れてなお生きている御神木です。

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老松神社と言えば、菅原道真ですが、土師郷が安楽寺(太宰府天満宮)の荘園となった際に菅原道真を合祀したとあります。
かつては土師庄十二ヶ村の総鎮守として篤く信仰され、隆盛を極めたといいます。

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しかし豊臣秀吉による九州征伐の際、秋月種実に味方したということで神領一切を没収され衰退しました。

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土師氏(はじし)とは、「土師」を氏の名とする氏族です。

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土師氏の祖「野見宿禰」は天穂日命の末裔と伝わりますが、これは穂日家の捏造です。
野見宿禰は出雲王家「富家」の末裔です。
富家→登美家→野見家と続きます。

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大和東征を果たした物部イクメ王は、先行し領地を拡大した「田道間守」(たじまもり)が、あたかも自分が王のように振る舞うのを嫌いました。
物部の出雲進駐軍司令官だった「秋上十千根」(あきあげとちね)から、穂日の子孫で出雲国造となっていた「甘美韓日狭」(ウマシカラヒサ)へ、田道間守討伐の命が下ります。
がしかし、人望が少なかった日狭は出雲旧王家の「向(富)家」へ出陣を願い出ました。
そこで大田彦が「富」の字を「野見」に変え、「野見大田彦」の名で兵を集め出陣、見事田道間守を制圧し淡路島へ追い払いました。
大いに喜んだイクメ王は、野見大田彦に、物部の敬称である「宿禰」を与え、「野見宿禰」と呼ばれるようになります。
この経緯が、野見宿禰と当麻蹴速(たいまのけはや/田道間守)の相撲の逸話に変えて伝えられています。

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また、野見宿禰は埴輪を発明しますが、この時、垂仁天皇から「土師職」(はじつかさ)を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと云います。

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さて、野見宿禰と菅原道真とのつながりを見てみると、出雲にある「菅原天満宮」は道真出生の地と伝わるところですが、そこに野見宿禰の墓があると云います。
野見宿禰は帰国の途場で毒を盛られ亡くなります。
その分骨を埋葬したひとつが、この墓と伝わっています。

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菅公の父親である菅原是善は、出雲国庁に派遣されていた役人でした。
彼は菅原氏の祖先である野見宿禰の墓をたずねて当時の山田村(現在の菅原の里)に訪問します。
その時案内をした富家の乙女がいましたが、是善はこれを気に入り、国庁に召しました。
是善は任期が終わり、京都に帰る時、乙女に「いつでも頼って来なさい」と告げます。

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やがて乙女は是善の子を身ごもり、山田村で道真公を出産されました。
承和12年(845年)6月25日のことです。
乙女は是善の言葉を思い出し、道真公が6歳の春、母子伴に都に上がります。
母子は是善の邸に入り、南向きの庭の老梅のもとに公を立たせおき立ち去ったと、当天満宮では言い伝えられて来たそうです。

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境内にはヤギの像があります。
ヤギは初めて見ました。

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この土師宮は当初は道真公とは関係なく、野見宿禰の子孫が住み着いた里だったのでしょう。
それが時を経て天満宮の荘園となり道真公が合祀されたのだと思います。
配神の「大物主神」と「事代主神」はどちらも野見宿禰、富家の先祖、出雲8代副王の「八重波津身」(ヤエハツミ)の事です。
思わぬところに、出雲王家の痕跡が残っていました。

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