摂津国一宮といえば「住吉大社」となりますが、中世にその末社になったとのことで、もう一社、摂津国一宮を称する神社があります。
大阪のど真ん中にある「坐摩神社」(いかすりじんじゃ)を訪ねてみました。
坐摩神社は、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれています。
祭神は「生井神」(いくいのかみ)、「福井神」(さくいのかみ)、「綱長井神」(つながいのかみ)の井水の3神と、
「阿須波神」(あすはのかみ)、「波比岐神」(はひきのかみ)の竈神2神です。
聞きなれない神の名ばかりですが、これらを総称して「坐摩大神」(いかすりのおおかみ)と云うそうです。
手水は柄杓を使わない、斬新なスタイルです。
創建は神功皇后が新羅遠征の帰りに、坐摩大神を淀川河口の「渡辺」に祀ったと伝わります。
創建時に鎮座した場所は、大坂城の西方一帯の天満橋の南詰の辺りですが、天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築くために現在の地に遷座しました。
この時、地名の「渡辺」も引き継がれています。
当社の宮司職は「天津彦根命」の子孫である「渡邉」氏が受け継いでいると云います。
祭神の坐摩大神は、初代神武天皇の時から宮中で祀られる、皇居の守護神だったそうです。
「坐摩巫」(いかすりのみかんなぎ)と呼ばれる坐摩神に奉仕する巫女によって祀られたそうですが、これは都下国造の7才以上の童女が奉斎し、結婚したときは別人に替えたと伝わります。
坐摩巫は西から来る穢れを祓う儀式を行うと云われています。
境内の端には多くの摂社が立ち並びます。
が、そこに並ぶ社名も
あまり馴染みのない名が多くみられます。
平成23年10月19日、桂文治(初代)が寄席を開いたという故事に則り、境内に「上方落語寄席発祥の地」の顕彰記念石碑が建立されました。
裏参道側には「陶器神社」と
「稲荷社」があります。
社殿は昭和20年(1945年)の第一次大阪大空襲で焼失したそうです。
現在の社殿は昭和35年(1960年)に再建され、今も陶器祭りが行われ続けているそうです。