漫画の「バガボンド」が好きで一度訪れたいと思っていた「柳生」の里は、JR奈良駅からバスで1時間ほど揺られた山奥にひっそりとありました。
柳生に着くと、まず迎えてくれるのが「十兵衛杉」。
「柳生十兵衛三厳」(やぎゅうじゅうべいみつよし)が諸国漫遊に旅立つ時、植えていったと言われている杉です。
昭和48年夏、二度の落雷により現在は枯れてしまっていますが、死して尚その威容に圧倒されます。
柳生はのどかな集落です。
のんびり散策を楽しむのに良いです。
「旧柳生藩家老屋敷」は柳生藩の財政立て直しを行った家老「小山田主鈴」(おやまだしゅれい)の旧屋敷です。
石舟斎らのいた柳生陣屋敷は、今は跡地が残るばかりになっています。
「宮本武蔵」は柳生新陰流の創始者、柳生石舟斎に戦いを挑む為に柳生を訪れます。
そこで石舟斎によるものと思われる芍薬の切り口を見た武蔵は、その切り口の鋭さに驚きます。
「これほどの手腕の者が柳生にはいるのか。柳生の実態は世間で言われている以上のものなのかもしれない」と武蔵は思うようになります。
その石舟斎の凄さを伝えるものがあるというので、行ってみました。
少々山道を歩きます。
のどかな風景が続きます。
ずいぶん歩くと見えてきました。
「天乃石立神社」(あまのいわたてじんじゃ)です。
大きな岩がゴロゴロ転がる山中の、
参道を歩いていくと見えてきました。
地面に深く突き刺さった、「天の岩戸」の扉です。
それは見事な板状の岩で、岩戸の扉だったと言われると、なるほどと思ってしまいます。
岩戸の扉で有名なのは、「戸隠神社」ですが、これはこれで神秘的です。
この岩戸の裏に目的のものがありました。
「一刀石」です。
約7m四方の巨石で、柳生石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)が、剣の修行中に天狗だと思い一刀のもとに切り捨てたが、そこには2つに割れた巨石が残ったというものです。
石舟斎、っぱないです。
最後に訪れたのは「芳徳寺」(ほうとくじ)。
柳生家の菩提寺であり、1638年(寛永15年)に柳生又右衛門宗矩(やぎゅうまたえもんむねのり)が父、石舟斎の供養のために創建しました。
開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚(たくあんおしょう)です。
漬物の「たくあん」は沢庵和尚が作ったと云われています。
石舟斎がたどり着いた、究極の剣法はなんと「無刀」。
「天地を剣に見立てれば、もはや刀はいらぬ」と、徳川家康に無刀取りを披露し、以後柳生家は将軍家の兵法指南役として仕えてまいります。
いつか僕も、「もはや鋏はいらぬ」と言える日が来るのかどうか、そんなことを考えながら里を後にしました。
こんばんは。
私も、バガボンドは大好きです! 特に柳生石舟斎さんは大好きで、10,11巻はよく読んでますし、山岡荘八の「柳生石舟斎」も愛読してます。
柳生の里、行ってみたいです! この記事、これからも何度も読ませて頂くと思います! よろしくお願い致します。
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MAYUTABI様、こんにちは。
僕も柳生城乗り込みの巻と、吉岡兄弟との戦闘の巻は大好きです。
武蔵の成長が垣間見れますね。
ただ、かなり中途半端に連載が中断しているのが残念ですが。。
柳生の里は、決して広いわけではないですが、のんびり散策するのにはちょうど良いです。
興味のない人には退屈なところかもしれませんが、逆に言えば、昔の風景が残り続けているところでもあります。
奈良から向かうバスは本数が限られていますので、お出かけになる際はご注意ください。
こちらこそよろしくお願いします。
ご来訪、ありがとうございました!
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