御名方神社:八雲ニ散ル花 28

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出雲地方の斐川町名島に、「御名方神社」(みなかたじんじゃ)があります。
田園の中にポツンとある姿は、近くの「鳥屋神社」に通じるものがあります。

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社名から、当然祭神はタケミナカタであると思いきや、祀られていたのは「大国主命」「事代主命」「吉備津彦神」の3神でした。
明らかに作為を感じます。
吉備津彦は出雲族の親戚でありながら、鉄を求めて出雲王国を攻めた「大吉備津彦」「若吉備津彦」のことと思われ、ここの祭神としては異質です。

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タケミナカタは、「古事記」では「建御名方神」(たけみなかたのかみ)と記されますが、他文献では「南方刀美神」(みなかたとみのかみ)・「御名方富命」・「建御名方富命」等と表記され、富家の血筋であることがわかります。
彼は古事記では「大国主神」の御子神で、事代主神の弟神として登場し、国譲りを迫るタケミカヅチに戦いを挑み、負けて諏訪へ敗走するという不名誉な話として記されています。
また「日本書紀」や「出雲国風土記」には記載すらされていません。
彼は事代主と越国の姫「沼川姫」との間に生まれた王子で、美保神社の祭神「美保須須美姫」の兄にあたる人です。
諏訪に移住し、出雲王国を東に広げた勇猛で偉大な王だったのですが、日本の歴史から貶められ、消された王の一人でもありました。

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沼川姫(ヌナカワヒメ)は、事代主の死をきっかけに、出身地の越後国へ帰国し、そこで亡くなられました。
沼川姫に付き添って越後国に住んだタテミナカタは、やがて中部地方に新しい国を建設しようと思い立ちます。
そこで大勢の家来を集め、姫川を逆上り、上田の下之郷にから古代に黒曜石の産地であつた和田峠をこえて諏訪盆地に進出し、その地に諏訪王国を造ったと云います。
以後、彼の子孫は江戸時代まで、この地の豪族として栄え続けました。

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諏訪湖沿岸には、「建御名方富命」をまつる諏訪大社の社殿が四か所に建てられます。
そこの下社(下諏訪町)の社殿は出雲地方の社殿に似て、正面が妻入りで締め縄が太い特徴を示しているそうです。

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諏訪大社下社は、春宮と秋宮に分かれていて、出雲王国時代の春分大祭と、秋分大祭が重んじられた影響が残されていると云います。
春宮と秋宮では、春祭りと秋祭りで祭りの場所が移動するそうですが、その時、出雲サイノカミの久那斗の夫婦神が、舟形の山車(だし)に載せられて遷宮するそうです。

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やがて諏訪大社の分霊は、後に里帰りした出雲の子孫とともに、タケミナカタの故郷に移りました。
それがこの名島の御名方神社と云うことです。

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分霊を宿した御神体がどうなったのか気がかりですが、彼の神霊が今も、地元の人々に大切に祀られ続けていることを願うばかりです。

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