丹生都比売神社

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和歌山県伊都郡かつらぎ町の、のどかな山村にある「丹生都比売神社」(にうつひめじんじゃ)は、少しミステリアスな神社です。
全国に約180社ある丹生と名のつく神社の総本社。
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つに登録されていて、「高野山天野大社」「天野四所明神」などとも呼ばれています。

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外鳥居をくぐると朱色の「輪橋」があります。
平安、鎌倉時代には神事がこの「輪橋」の上で行われていて、神の渡る橋とされていたようです。

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丹生都比売神社の神は日本三大厄神のうちの一つとされています。
厄神(やくじん)とは、災厄をもたらす悪神と、厄除けの神がありますが、一般的には厄除けの神様と考えてよいようです。
日本三大厄神は他に「門戸厄神東光寺」(兵庫県西宮市)「石清水八幡宮」(京都府八幡市)となります。

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「天野大社」とも称される丹生都比売神社〔にうつひめじんじゃ〕は、高野山一山の地主神です。
天野は四方を山に囲まれた標高約500メートルの盆地で、かつては高野山の表参道だったと云います。
丹生とは「丹が生ずる」という意味で、「水銀の原石である硫化水銀が採れる」ことを表しています。
硫化水銀は「丹砂」と呼ばれて、古くから朱色の染料の材料として用いられてきました。

丹生都比売神は、丹砂の採掘を生業とする丹生氏によって祀られていたと思われます。
丹生氏の里は福岡の伊都国とされています。
水銀鉱床は浅く小規模な産出だったので、枯渇などで採掘できなくなると、他の場所へ移動していったようです。
そうして北上し、北は東北の一部にまで及んでいると云います。

また、「播磨風土記」には神功皇后の三韓征伐に際して、丹生都比売神が武器や衣装、船を赤く染めるようにと託宣し、これによって軍の威力が増し戦いに勝ったので、その功に対し応神天皇が、紀北地方の広大な土地と社殿をを丹生都比売神に神領として寄進したと記されています。

丹生氏の権威も、やがて仏教文化の伝来で仏像の鋳造などで水銀の需要が増え、先進技術を持つ渡来人の秦氏に取って変わられます。
古事記にも、日本書紀にも、この丹生都比売神は出てくることはありません。
やがて枯渇してゆく水銀と共に衰退していったのかもしれません。

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高野山創設にまつわる有名な話に、弘法大師「空海」が密教の根本道場の地を求めていた時、丹生都比売神の御子「高野御子大神」が狩人の姿の「狩場明神」〔かりばみょうじん〕として現れ、白・黒二匹の犬に高野山まで案内させたとあります。
そのため丹生都比売神社は「神仏習合のはじまりの神社」と呼ばれています。

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楼門と本殿は室町時代の建築で、国の重要文化財に指定され、特に本殿は、一間社春日造りでは日本最大とされています。
内部に内宮殿があり、その中にご神体を安置するという珍しい形式だそうです。
残念ながら、僕が訪れた時は本殿は修復中で見ることができませんでした。

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その絵がこれです。
本殿は四棟あり、ご祭神は「四所明神」と総称されます。

第一殿に「丹生都比売大神」(にうつひめのおおかみ/丹生明神)、第二殿に「高野御子大神」(たかのみこのおおかみ/狩場明神)、第三殿に「大食津比売大神」(おおげつひめのおおかみ/気比明神)、第四殿に「市杵島比売大神」(いちきしまひめのおおかみ/厳島明神)が祀られます。

第三殿の気比明神は「氣比神宮」から、第四殿の厳島明神は「厳島神社」から、承元2年(1208年)に勧請されたといいます。
ただ、氣比神宮のご祭神は伊奢沙別命(いざさわけのみこと)であり、「御食津大神」(みけつおおかみ)とも呼ばれるものの、「大食津比売大神」とは別の神です。
ただこの2柱の神は食物の神なので、混同されたのかもしれません。

主祭神の「丹生都比売大神」は天照大神の妹、「稚日女尊」(わかひるめのみこと)と同一神だという説もあります。
稚日女尊は高天原でスサノオの暴虐が原因で命を落とした機織り女のことだと伝えられていますが、富家の伝承では宇佐の豊玉姫の娘「豊姫」の別名であると記されています。
とするなら、当社は物部東征(神武東征)に関わりある神社なのかもしれません。

また稚日女尊は神功皇后の大和帰還の時に神託に現れ、生田神社に祀られた神です。

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丹生氏が探し求めた水銀の鉱床跡の多くは、不思議とパワースポットの中央構造線上に沿って点在しています。
水銀は猛毒ではありますが、「腐らない水」ということで、「不老不死」と繋がりがあると考える人もいたようです。
そのような関わりによるものか、ここには「不老不死」のある伝承が伝わります。

境内の池を「鏡池」と呼びますが、かつて人魚の肉を食べて永遠の命を得てしまった「八百比丘尼」(やおびくに)という尼僧がいました。
この尼僧は池に映った自分の姿が老いていかないのを知り、それを嘆いて稚日女命の鏡をこの池に投げ入れたと云います。

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境内はさほど広くなく、所々老朽化も激しい、やや寂れた感のある神社ですが、
深い歴史の背景に、感慨深くも思いを馳せました。

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