「大名持神社」(おおなもちじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社で、古代出雲の主王の役職名を正しく伝える数少ない神社のひとつです。
鳥居の前の伊勢街道(169号線)の先には、吉野川が流れています。
重厚な石垣と階段の上に、本殿が鎮座します。
御祭神は「大名持御魂神」(オオナモチノミタマノカミ)、「須勢理比咩命」、「少彦名命」。
富家の伝承では、大和へ移住した出雲王国の子孫たちが建立したと伝えられています。
背後にある標高260mの「妹山」は美しい円錐形で、神体山として仰がれてきました。
妹山は伐採が禁じられている神聖な山で、「忌山」とも呼ばれていると云います。
「妹山の土は生きている。だから木も毎日様子が変わる」と今も信じられ、また、山頂には池があるという言い伝えもあるそうです。
人工美林の吉野の山々の中で、この山だけが原始林的樹叢を今日に残しているのは、その禁忌的信仰のためだといえます。
鬱蒼とした妹山樹叢は、昭和三年 天然記念物に指定されました。
ツルマンリョウ・ルリミノキ・テンダイウヤク・ホングウソウ・ホングウシダなど、珍稀な温地性植物が繁茂しています。
ツルマンリョウの学名「アナムティア」(Anamtia stolonifera Koidz)は大名持神社の名にちなんで小泉博士が命名したと云います。
菅原道真らの撰進した史書「三代実録」に「貞観元年正月二七日大和国従一位大己貴神に正一位を授く」とあり、「大和志」にも「貞観元年正月授正一位」とあるそうです。
貞観元年(859年)に正一位という極位を授けられたのは、わずかに「大名持神社」と河内国「枚岡神社」のみであり、「伊勢神宮」「宇佐神宮」の別に、「上賀茂神社」「下鴨神社」「鹿島神宮」「香取神宮」「春日大社」の諸神に次ぐ神階を授かった極めて神徳崇高な社だと云います。
当社の吉野川対岸にある山は「背山」といいます。
配祀の「少彦名命」は本来、背山に祀られていたと云います。
「万葉集」巻七の「大穴道少御神のつくらしし、妹背の山を見らくしよしも」にちなんで後世に合祀されたと云われています。
妹山と合わせて妹背といい、当社のそばには吉野川には「妹背橋」が掛かっていて、浄瑠璃の「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)で有名な土地だそうです。
明和八年(1771年)に竹本座が再興されてうち出した傑作「妹背山婦女庭訓」は、暴逆きわまりない蘇我入鹿を、知謀に秀でた中臣鎌足が退治していく大織冠物の一つだそうです。
「妹山は太宰少武国人、背山は大判事清澄の領内で、領地争いで不和の両家の久我之助と雛鳥は恋仲である。
しかし、雛鳥は入鹿に入内をせまられる。
また、入鹿は、執心していた帝の寵姫采女の局が猿沢池に入水したというのは偽りで、実はその付人である久我之助がかくまっているものと疑い、疑いをはらすために、久我之助に出任せよと難題を命じる。
つまりは、雛鳥を奪おうとしての謀りである。
ついに雛鳥は、久我之助の無事を祈りつつ妹山の屋敷で母に首をうたせる。
久我之助もまた雛鳥の幸せを願いつつ腹を切る。
-帝への忠節と、雛鳥の命をかけて守った恋心に、二百年来多くの人々は涙を流したのです。」ー 平成祭データ 原文 ー
社前の吉野川潮生淵に毎年6月30日に海水が湧き出るとの伝えがあり、この淵で禊をする「大汝詣り」が今日も受け継がれています。