奥の院・瀧蔵神社

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今は昔、長谷の奧に滝蔵と申す神がおりました。
その社の前に、軒続きに長さ三間の檜皮葺の家がありました。
社の方は山あって高い所に建ち、前の家は谷に柱を長く継いで建ててありました。
その谷ははるか深くて、見おろせば目もくらむほどでした。

さて、ある正月、大勢の人が参拝に訪れて、七、八十人ほどが社の前の家に集まり、経をよみ礼拝して、お勤めをしていると、いつしか真夜中ごろになりました。
その時は人多く集まって、床が重くなっていたので、谷側の柱が谷の方に傾き、柱が礎石からずれ落ちてしまいました。
それに引かれて、ほかの柱もみな礎石からはずれました。
たちまち、この家も谷の方へ投げ出され崩れ落ちていきました。

その時、この家にいた者たちは、はじめは地震だろうと思っていましたが、にわかに谷の方に崩れ落ちたので、居合わせた者皆、あるいは家から投げ出されて谷に落ちる者、あるいは柱・桁 ・梁に打たれる者もありました。
あるいは子を抱いた女が、母子ともども頭を板敷の間で切られて、体だけが谷に落ちてゆく者もありました。
あるいは五体ばらばらになって全部飛び散ってしまった者もありました。
しかしその中に、女一人、男三人、子供二人だけ、谷の底に落ちましたが、かすり傷一つなく助かった者がいました。
思うに、この助かった者たちは、前世からの宿業が強かった上に、神の助けと観音の加護があったのでしょう。
じつにこれは希有なことだと、語り伝えてられていました。

ー「今昔物語」巻十九 滝蔵礼拝堂倒数人死語(たきくらのらいはいだうたふれてあまたのひとしぬること)第四十二 ー

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奈良の桜井市にある権現山山中に長谷寺の奥の院と伝わる神社があるというので行ってみました。
が、向かう道は車幅ギリギリの、かなり険しい山道を延々とひた走ることになります。
こんな秘境にある神社とはどんなところなのか。

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そう思っていると、忽然と集落が現れ、唖然としてしまいます。
こんな僻地でどうやって暮らしているのか、気になっていると、目的地が見えてきました。

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参道入り口に、大きな桜の木がありました。

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「権現桜」と呼ばれ、枝垂れ桜の古木で桜の季節には見事な花を咲かせるそうです。
実はこの桜を見るのも目的の一つでしたが、残念ながらやってきたのが早過ぎました。

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立派な鐘楼もあります。

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長谷寺の高僧、善照上人が寄進したと記してあります。

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こんな山奥に、神仏習合の名残が、しっかりと残されていました。

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側には柳井道弘作「花の宴」の歌碑。

「この里のおほみたからの よろづ代に祭りゆかむと 真実(まめ)ごころ代々に伝えて まつりこしこの神垣の 繚乱の花の下かげ 友どちと宴をすれば 天つ日に匂ひかがよひ 時じくの春風に舞ふ 日の本の大和の国の うるはしきさくら花はも」

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天照大神を祀る鎮守社があります。

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下には、何やら意味ありげな石が置かれています。

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と、いよいよ聖域の入り口へたどり着きました。
素晴らしい神気。

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思わず鳥居前で、いっとき立ち尽くしてしまいます。

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「興福寺門跡大乗院尋尊識語」の応仁元年(1467年)書写仁平2年(1152年)の『長谷寺密奏記』に、「瀧倉大菩薩当山地主也河上ニ坐シ御ス」とあるそうです。

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滝倉山一帯は、奈良・春日神社の神領でしたが、ここに庶民信仰が根強くあったことを冒頭に挙げた「今昔物語」巻十九 滝蔵礼拝堂倒数人死語第四十二からうかがうことが出来ます。

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また、「長谷寺観音験記」巻第七によると、保延四年(1138年)十一月十八日に「美福門院」(鳥羽天皇の皇后)が、長谷寺に参詣、夢のお告げで若君「近衛天皇」を生んだくだりで、
「此山ノヲク瀧蔵山ニ一人ノ尼有リ、日天子ト嫁ギ、高貴ノ男子ヲ生ズ。是ニ必取更(かえ)奉ルベシト云ト、(中略)彼瀧藏権現ハ是ノ尼ヲ御座ナリ。」
と、瀧蔵権現の御神体を「尼」(女性)として記しています。
懐妊した美福門院は、博士の卜(うらない)で姫宮であるといわれたので、長谷寺に詣って祈ったところ、夢の中で登場した瀧蔵権現の尼の力で姫を若君に取り替えてもらい、喜んだ院は、瀧蔵の拝殿を営作したと云います。

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拝殿の裏には、これまた素晴らしい本殿がありました。
こんな山奥なのに、塵一つない清浄な世界。

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御祭神は、中央の高いところ、朱塗り流造の本殿に「伊弉諾尊」(中殿)、「伊弉冊尊」(向かって右殿)、「速玉命」(向かって左殿)が鎮座します。
一段下の右壇上、末社の六社神社には「国狭土尊」「沙土煮尊」「豊雲野御子」「大戸道尊」「天忍穂身尊」「葺不合尊」、
同じく、左壇上の六社神社には、「面足尊」「天彦火瓊々杵尊」「煌根尊」「火々出尊」「泥土煮尊」「大苫邊尊」が鎮座します。
祭神を見ると、ここは物部の聖地のようです。

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長谷寺の奥の院と称し、古来より信仰深き神社にて長谷寺へお詣りしても当社へ参詣しなければ御利益は半減すると伝えられる瀧蔵神社。
険しい山道に阻まれた秘境の聖地は、信仰深い人たちに守られ、今もそこに清く残っていました。

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