宮島の「弥山」は「厳島神社」に並ぶパワースポットですが、しかしそのさらに奥にある「御山神社」(みやまじんじゃ)まで足を踏み入れる人は、そう多くありません。
そこは厳島神社の御祭神「宗像三女神」が降り立った場所と云います。
弥山山頂から、仁王門方面へ降って行くと、御山神社へ続く参道があります。
しかしそれはまるで人目から隠すように、参道と呼ぶには細く野趣にあふれた山道です。
この先にある御山神社はかつて「さんきさん」と呼ばれていたそうです。
御山神社は、もとは弘法大師「空海」によって「追帳鬼神」(ついちょうきしん)、「時眉鬼神」(じびきしん)、「魔羅鬼神」(まらきしん)の「三鬼大権現」を勧請して創建された「三鬼堂」(さんきどう)という名のお堂だったと云います。
この弥山の山頂奥の場所は、後に平清盛によって厳島神社の「奥宮」に定められました。
そこに建つ石の鳥居も、厳島神社の大鳥居の形をしています。
1926年、当時の皇太子殿下だった昭和天皇も登拝されました。
当時はロープーウェイもなく、この険しい山を徒歩で登られたそうです。
皇室にとっても特別な場所がここです。
大きな磐座の上に、3つの朱い社が品の字のような配置で建っています。
境内に入ってすぐの左殿に「田心姫命」、
右殿に「湍津姫命」、
そして、左右の社殿よりも一回りほど大きく、礎石も一段高くなっている中央最奥の社殿に「市杵島姫命」が祭祀されています。
厳島の名前は、市杵島姫の「イチキシマ」からとられたと云います。
なぜ三女神の中の市杵島姫なのか。
それはこの「神の斎く島」に眠る神が、市杵島姫本人か、その血筋の者であるということではないでしょうか。
以前訪れた時は、ずいぶん侘びた風情でしたが、平成28年に改修が施されたようです。
昭和30年代まで女性が住み込みで、御山神社を守っていたそうですが、この場所は足がすくむほど立地が険しく、
鳥居の先は断崖絶壁です。
空海は三鬼大権現を勧請し、清盛は宗像三女神が舞い降りた聖地と定めました。
そして更に往古には、ここは「伊都岐島神」が降臨した場所だということです。
いつ来ても気持ち良い風が吹き抜ける御山神社は、ここが厳島の、真の聖地であると、僕に確信させるのです。