宮崎神宮

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たびたび宮崎は訪れつつも、足を運んでいなかった場所が「宮崎神宮」です。

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宮崎神宮に隣接するように、護国神社もありました。

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公務殉職者を祀る神社です。

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死者を祀り、国土を守ってもらうという信仰は古くから日本にありました。

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白い本殿はあまり見ることもなく、新鮮です。

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参道入口に大きな赤い鳥居があり、目を引きます。
末社「五所稲荷神社」(ごしょいなりじんじゃ)です。
入口の大きな鳥居は、以前の宮崎神宮二ノ鳥居を削って、昭和55年に改築したものだそうです。

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有志の方々が寄贈した鳥居が連なります。

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祭神は「保食神」(うけもちのかみ)、「塩土翁」(しおつちのおきな)、「道臣命」(みちのおみのみこと)、「椎根津彦命」(しいねつひこのみこと)、「大久米命」(おおくめのみこと)です。

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大久米命は神武天皇の功臣と伝わる人です。
鹽竈神社の祭神、塩土翁が祀られているのが気になります。

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一風独特な狛犬が鎮座しています。

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沖縄のシーサーを彷彿とさせる造形です。

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五所稲荷神社は境内の神池(しんち)横に鎮座していますが、かつては、宮崎神宮本殿の東側に鎮座していたのを、後に遷座たそうです。

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杜に囲まれた参道を歩きます。

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ふと右手に目をやると、レトロモダンな建物があります。

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「宮崎神宮徴古館」 ( みやざきじんぐうちょうこかん )です。

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徴古館は、宝物や書籍等の展示のために建設された木造2階建の建物です。

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独特の外壁は「海鼠壁」(なまこかべ)というらしい。

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屋根は寄棟造の桟瓦葺きで、西側正面には切妻形の屋根を付けた玄関があります。
窓は鉄格子をはめた上げ下げ窓を、等間隔に配しています。

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徴古館の横には「猿蓑塚」がありました。
猿蓑塚とは芭蕉の高弟であった凡兆と去来が共同で編集した俳諧撰集のことで、芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげなり」という句が五句に使用されているためこの名が付いたということです。

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いよいよ拝殿に向かいます。

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神門の先はとても清浄な空間がありました。

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深い杜を抜けた先の突き抜けるような空間は、宮崎の市街地にあって見事に聖域感を醸し出しています。
騒音も聞こえず、静寂な世界が広がります。

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宮崎神宮は、かつて、「神武天皇宮」や「神武天皇御廟」などと称されてました。
地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれているそうです。

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祭神は「神日本磐余彦尊」(カムヤマト・イワレヒコノミコト / 神武天皇)であり、父神「鸕鷀草葺不合尊」と母神「玉依姫命」の2柱を配祀しています。

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社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の「建磐龍命」(タケイワタツノミコト)(阿蘇神社の祭神)がその縁に因んで創祀したと云います。

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崇神天皇(イニエ王)の時代に初めて社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、更に応神天皇の時代からは「国造本紀」に載せる日向国造の祖、「老男命」(おいおのみこと)が祀るようになったと伝えています。

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本殿は方3間の切妻造妻入。
雨に濡れる本殿は、美く佇んでいました。

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