咲庵:庭

那珂川のちょっと人里離れたところに、僕だけの楽園があります。 もともと祖母の土地でしたが、放置されていたので僕に譲ってもらいました。 50坪ほどで水道や電気は通らない何もない土地。 まずは僕の背丈ほどはあろうかという雑草…

大和神社:八雲ニ散ル花 40

「大和の民よ、これ以上、物部どもの暴挙を許して良いものか。我と共に立ち上がれ。我が名は富ノ中曽大根彦なり。」 紀元180年の頃、大和磯城王朝に「大彦」がいた。 彼は第8代クニクル大王の御子で、実質的な大和の指導者だった。…

鬼のミイラ / 河童の墓

大分県四日市の「十宝山大乗院」に、「鬼のミイラ」があるというので行ってみました。 最初に断っておきますが、ミイラの写真はありません。 撮影は禁止とありましたので、場所の紹介だけです。 108段の階段を上ると、十宝山大乗院…

愛宕神社「巨大お父さん像」

そういえば、今年の初詣に出かけた「愛宕神社」。 そこに居たのは! お父さん。。 今年は「戌年」でもあり、昨年のソフトバンク優勝も相まっての設置のよう。 この「巨大お父さん像」、愛宕神社の他では、大須観音「寶生院」(愛知県…

水仙の里 西展望所(野母崎)

今年2018年のお正月に、二度目の野母崎「水仙の里」へ行って来ました。 予想はして居たことですが、今回は満開にはちょっと早かったようで、前回よりも花は少なめです。 いつもは一人でぶらぶらすることが多い僕ですが、今回はツレ…

橿原神宮:八雲ニ散ル花 番外

筑紫・物部政権「ナギサタケ」王の御子に、「五瀬」(イツセ)がいた。 彼は紀元1世紀頃には、筑秦国の指導者であった。 五瀬は、弟「三毛野」(ミケヌ)や「稲飯」(イナヒ)と協議し、物部王国の遷都計画を立て、好機をねらっていた…

八咫烏神社:八雲ニ散ル花 39

「建津乃身様、物部の使者が参っております。」 「うむ、少し待たせておけ。」 登美家の当主、建津乃身は思案していた。 目の先に映る神山・三輪山は、日の光を受け青々と輝いている。 「毒を抑えるには、やはり毒をもって為すしかな…

西谷墳墓群:八雲ニ散ル花 38

出雲市の斐伊川西岸に、三谷山があります。 山といっても、ちょっとした丘です。 その頂上に「三谷神社」があります。 この神社の祭神は神武天皇の孫と伝わる「建磐龍命」 ( タケイワタツノミコト ) でした。 建磐龍命と言えば…

赤猪岩神社:八雲ニ散ル花 37

鳥取県西伯郡南部町に、因幡の白兎神話の続きの舞台となった場所があるというので訪ねてみました。 「赤猪岩神社」(あかいいわじんじゃ)には、「大国主」が命を落とし、母の愛と二人の女神の力で生き返った「再生神話」が伝わっていま…

樂樂福神社:八雲ニ散ル花 36

神社の近くに「鬼林山」という名の山があった。 そこには、暴れ回って村人を困らせる「牛鬼」を首領とする鬼の集団がおった。 この地を訪れた孝霊天皇はその話を聞き、早速鬼を退治することを村人に約束した。 天皇は皇子神達や随従の…

荒神谷遺跡 / 加茂岩倉遺跡:八雲ニ散ル花 35

紀元前200年頃、出雲王国の海岸に秦国人の乗った船が着きました。 彼らは徐福の先遣隊として渡来した「穂日」(ホヒ)と「武夷鳥」(タケヒナドリ)たちでした。 彼らはすぐに出雲兵に捕らえられ、神門臣家の王官に連れて行かれます…