往馬坐伊古麻都比古神社:八雲ニ散ル花 52

生駒山地を越え、苦難の末に大和入りを果たした物部イクメ王、彼を正式に祀っているとおぼしき神社が奈良県生駒市にありました。 「往馬坐伊古麻都比古神社」(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)です。 やや辺鄙なところにありまし…

磐船神社:八雲ニ散ル花 51

「田道間守はまだ来ないのか」 イクメ王は苛立っていた。 東征の中心、イクメ王の軍勢は瀬戸内を通って、淀川河口に到着した。 当時は入り江が深く、河内国まで海から船で行けた。 イクメ軍は河内国に上陸したのち、日下に進軍したが…

若狭彦神社:八雲ニ散ル花 番外

福井県小浜市の多田ヶ岳山麓に鎮座する聖地、、若狭国一宮「若狭彦神社」(わかさひこじんじゃ)、「若狭姫神社」(わかさひめじんじゃ)を訪ねてみました。 そこはとても気持ちの良い、素晴らしい場所でした。 【若狭姫神社】 そこは…

久奈子神社:八雲ニ散ル花 50

物部東征軍将軍「朝倉彦」は、軍を率いて出雲王が篭る丘を攻めた。 急造の宮殿では、出雲兵も必死の抵抗を見せた。 両軍とも苦戦したが、やがて、出雲王国の最後の主王「山崎帯」は降伏した。 最後の戦地となった丘に、山崎帯王と物部…

智伊神社:八雲ニ散ル花 49

出雲市知井宮町に「智伊神社」(ちいじんじゃ)があります。 当地は西出雲王家「神門臣家」の領地内にありながら、他の出雲系神社とは異質な雰囲気を持っています。 『出雲風土記』にある「知乃社」に比定されるという当社、 御祭神は…

田和山遺跡:八雲ニ散ル花 48

田道間守は、東出雲にある丘の上に立っていた。 そこには焼け落ちた神殿の跡と、おびただしい数の人の死があるだけだった。 「徹底的に破壊しろ」 深い怨念にも似た、執念深さで命令を下したのは田道間守その人だった。 宗教王国の出…

小田神社:八雲ニ散ル花 47

出雲市多伎町の国道9号線山陰道沿いに「小田神社」があります。 交通量の多い道沿いではありますが、当社の存在感はかなり希薄です。 なんとか車を停め、小高い丘を登ると社殿が見えてきます。 当社の祭神は、「彦火々出見尊」(ヒコ…

物部神社:八雲ニ散ル花 46

島根の大田市と飯南町にまたがる優美な山は「三瓶山」(さんぺいざん)と呼ばれる活火山です。 この三瓶山、『出雲国風土記』では「佐毘売山」(さひめやま)の名で記されています。 古代の出雲では幸神の三神を祭り続けていましたが、…

長浜神社:八雲ニ散ル花 45

「お、大名持様、物部の大軍が小田を超え、王宮近くまで迫ってきております。」 「なにっ、」 真幸ヶ丘の北方にある神門臣王宮で山崎帯王は、驚きを隠せず立ち上がっていた。 「馬鹿な、奴らはこんなに早く堀を突破したというのか。」…

鏡作坐天照御魂神社:八雲ニ散ル花 44

247年、宇佐豊玉姫が派遣した魏国への使節団に、「武内大田根」(タケシウチオオタネ)という男がいた。 彼は磯城・大和王朝8代クニクル大王(孝元天皇)の孫であり、彦布都押信(ヒコフツオシマコト)と紀伊国の山下影姫との間に生…

生目神社:八雲ニ散ル花 43

宮崎市生目に「生目神社」(いきめじんじゃ)があります。 ここはコノハナサクヤヒメとされるアタツ姫が、イクメ王子を生んだ場所と伝えられています。 住宅街に埋もれるようにありましたが、訪れてみるととても風格ある神社で驚きまし…

西都原古墳群:八雲ニ散ル花 番外

物部・都万王国と宇佐・豊王国の一大連合王国の勢力圏であった西都原一帯は、数々の古墳群が今に残されています。 そこは春に、梅・桜・菜の花が次々に咲き、夏にはヒマワリ、秋にはコスモスが古墳群全体をつつみこむ、美しい景色の場所…