福岡県築上町にある「金富神社」(きんとみじんじゃ)は、金富八幡宮とも呼ばれ、宇佐八幡宮の元宮と伝わる神社です。
しかしながら、近年はそのネーミングから、宝くじ当選祈願で人気だとか。
宇佐八幡宮の元宮といえば、神功皇后伝承で訪れた「大分八幡宮」や「筥崎宮」が有名ですが、ここもそうした神社の一つ。
しかし宇佐神宮の謂れをを知った今となっては、宇佐神宮は宇佐神宮、元宮も何もないと思われます。
豊玉姫は宇佐の地に眠っているのですから。
境内右手の高台に「菅原神社」があり、
左手には池の中の小島に厳島神社がありました。
そこに祀られるのは「イチキシマヒメ」でしょう。
池の中に小島を造って祀るのは、秦国から渡来した物部族が広めた祭祀形態です。
稲荷社も物部族が広めたと云います。
この小島は道教の蓬莱山を表しているそうで、そこに徐福に嫁いだ市杵島姫を祀っているのだそうです。
拝殿です。
御祭神は「仲哀天皇」「応神天皇」「神功皇后」とお馴染みの顔ぶれに、「高龗神」(タカオカミノカミ)「木花咲夜姫命」(コノハナサクヤヒメノミコト)となります。
由緒によると、豊前国京都郡の辛島族などが「ヤハタノカミ」を創祈、鎮座地は「ヤハタノカミ」の国魂としての古代宮址とされるそうです。
「神亀元年(724年)、豊前守男人、藤井連毛が勅を奉じて宇佐に八幡神を祀る神殿(宇佐神宮)を造営するにあたり、神託により当地で斧立神事を行った。
その際に仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の三神を勧請して創建された」と伝えられています。
一方、それ以前から宇佐八幡宮の元宮、若しくは霊地であったという説もあり、現在は「八幡神顕現の霊地」などと呼ばれています。
創建当初は単に「やはた」「やばた」と呼ばれていましたが、9世紀頃から「八幡」を「はちまん」と読むようになったことから、「やはた」に相当する名称を「矢幡」と書き、矢幡八幡宮になったと推定されるそうです。
社号が「絹富八幡」「金富八幡」へと変遷したのは、備前国各地に散在する国衙領であった「絹富名(きぬとみみょう)」の遺称に由来すると考えられているそうです。
かくして縁起良さげな社名となったのでした。
社名・由緒はともかくとして、確かに霊地然とした深い杜が、そこに広がっていました。