「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊をかけねば片参り」
伊勢音頭の一節にも謳われる、朝熊。
そこの「朝熊岳金剛證寺」(あさまだけこんごうしょうじ)を訪ねました。
お伊勢参りの参拝は、二見浦で禊をし、外宮から内宮へ参るのが古来からの習わし。
さらにはそれに加え、伊勢神宮の鬼門を守る朝熊岳金剛證寺へ、参るのが良いとされています。
この風習は、江戸時代の頃には庶民の間で定着していたようです。
朝熊岳金剛證寺は、朝熊山の山頂付近にあります。
車で、伊勢と鳥羽の間を繋ぐ「伊勢志摩スカイライン」を10分ほど走ると到着しますが、この有料道路が割とお値段高めですので、割引チケットなどを利用しましょう。
しかしかつては徒歩で登山し、参拝していたことを思えばありがたいことです。
昔ながらの登山で参拝してみたい方は2時間半ほどでたどり着けるそうです。
「仁王門」をくぐると、赤い太鼓橋がかかった池がありました。
鳥居のあるこの橋は、聖地と俗界との結界を表していると云います。
橋の先にある「雨宝堂」は、空海が当山で修行中、天照大神一六歳の姿を感得して製作した「雨宝童子立像」(国指定重要文化財)を祀ると云います。
これは当寺と伊勢神宮との古くからの関係を示すものだそうで、現在は宝物館に安置してあるようです。
他境内には、蓮華庚申や、
仏足石などがあります。
境内奥の小高い場所に、本堂が見えます。
朱塗りの美しい本堂は「摩尼殿」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
本堂は、慶長年間に火事によって失われていますが、1609年に姫路城主「池田輝政」によって再建されました。
後に徳川五代将軍綱吉の母「柱昌院」によって改修されています。
御本尊は日本三大虚空蔵菩薩の一つ。
20年に一度、伊勢神宮の式年遷宮翌年にご開帳されているそうです。
「朝熊山縁起」によると天長2年(825年)、空海は大和国鳴川(現奈良市)の善根寺で求聞持法を修めた時のことです。
突如、赤精童子が現れて「伊勢洲朝熊の嵩に座を示す。明星在らば行必ず成就せん」と告げたと云います。
そこで空海は朝熊山へ入山し、修行することになったのです。
さらに道は緩やかな上り坂で、奥へと続いています。
そこにまた、ひときわ威容を放つ御堂があります。
伊勢神宮の鬼門除けのため、明星天子をお祀りしている「明星堂」です。
明星天子は虚空蔵菩薩の化身で、明星は日月星の三字よりなり、国土安泰、智恵成弁の仏神だと伝えられています。
明星堂を越え、さらにしばらく歩いた先に、龍宮の門のような建物があります。
正しく龍宮を模したと云うこの門は、「極楽門」と呼ばれます。
その先には、
卒塔婆が立ち並ぶ道が続きます。
当地では朝熊山は霊山とされ、死者の魂の行く場所と考えられ供養されてきました。
これを「岳参り」と呼ぶそうです。
個人的には、この一帯の空気は、高野山に似ているように感じました。
そして卒塔婆の道の行き着く先に、「奥之院」があります。
静かな佇まいの奥之院。
ここには茶屋もあり、またそこからは志摩の絶景を望むことができました。
さて伊勢志摩スカイラインを走り抜け、さらにしばらく車を進めた鳥羽市の外れ、「神明神社」までやって来ました。
なぜ、辺鄙な場所にある、この小さな神社に訪れたかというと、そこに話題の「石神さん」があるからです。
この石神さんは「女性の願いを1つだけ叶えてくれる」という強力なパワースポットなのだそうです。
正式には「石神社」と言い、海女の町、三重県鳥羽市大差町の神明神社にある末社の一つです。
祭神は、玉依姫命で、高さ約60cm程の石がご神体です。
大差町の海女さん達が、安全大漁を願って石神さんに祈願し続けてきたことから、石神さんは女性の願いなら一つだけは必ず叶えてくれると云われるようになったそうです。
マラソンランナーの「野口みずき」さんが、当社のお守りを持って走ったところ、アテネオリンピックで優勝できた! という話が話題となり、一躍有名になりました。
男性の僕は、やや場違い感を醸し出しつつも参拝させていただきましたが、とても感じの良い聖地でした。