伊勢市街から宮川大橋を渡り、磯町へ。
別宮・瀧原宮から外宮・豊受大神宮そばを流れる宮川の最下流域に鎮座する「磯神社」(いそじんじゃ)を訪れます。
そこは駐車どころか、離合もままならない細い路地にありました。
なので撮影時、鳥居も入りきれていません。。
もともと当社は八王子社と称する神社だったようですが、磯神社の旧地が宮川の洪水で崩壊したため、現在地に遷座し、磯神社に改称したそうです。
一ノ鳥居から一歩足を踏み入れると、まるで洞窟に入り込んだかのように、天井いっぱいに杜の枝葉が覆っていました。
そのあまりに素敵な空間に、思わずため息がこぼれます。
『倭姫命世記』によると、垂仁天皇25年(紀元前5年頃)3月、 皇女の倭姫命が「大神を鎮め坐さしむ処を求めて」大和から 近江、美濃の諸国を巡ったと記しています。
そしてようやく辿り着いた場所を「伊蘇宮」(いそのみや)と称したのが当社の創祀であるとしています。
また、宮川下流の当社より更に上流へ遡ったところ、宮川支流である大内山川流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので、草木を刈りとって新宮を建てたとしていますが、それが「瀧原宮」であると云うことです。
後に天照大神の神意により、現在の内宮の地に新宮「五十鈴宮」を建てたため、瀧原宮は別宮となったそうです。
しかしこの『倭姫命世記』の内容は信ぴょう性に乏しく、どこまで真実を伝えているのか皆目わかりません。
ただ、暗い杜の中にある明るい社殿は、ここがとても素敵な場所であると感じさせます。
祭神は正殿一座に「天照大神御霊」、相殿二座に「豊受毘賣神」と「木花佐久夜毘賣神」を祀ります。
他に「宇都志國玉神」 「菊理姫神」 「大山津見神」を合祀しています。
毎年2月11日に、なぜか祭神にもない「須佐之男命」の、八岐大蛇退治神話ゆかりの「七起こしの舞」という特殊神事が執り行われます。
4月下旬から5月上旬にはカラフルなツツジが境内の周囲に咲き誇り、「磯のツツジ」として大勢の花見客を迎えているそうです。
なんとも穏やかな神社に、時が経つのを忘れていました。