天太玉命神社:八雲ニ散ル花 番外

投稿日:

4170654-2018-04-21-19-00.jpg

奈良県橿原市忌部町(いんべちょう)にある「天太玉命神社」(あめのふとだまのみことじんじゃ)はその名の通り、忌部氏の祖「太玉命」を祀る神社です。

4170658-2018-04-21-19-00.jpg

忌部氏は出雲の玉造で王家の祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担っていました。
東出雲王家のクシヒカタは大和葛城に移住を決めた時、太玉も一緒に連れ立って行くことにしました。

4170659-2018-04-21-19-00.jpg

記紀には、天太玉は高皇産霊神の子であると記されています。
しかし高皇産霊神=高木神は、徐福の母親「栲幡千千姫」(たくはたちぢひめ)のことですから、その子、もしくは血族であるはずがありません。
出雲に渡来した徐福一派を嫌って移住を決めたクシヒカタは、出雲王家の親戚である太玉を、自分の片腕として連れて行ったのです。

4170660-2018-04-21-19-00.jpg

葛城で勢力を強めた忌部氏は、大和朝廷では中臣氏と並んで宮中の祭祀を執り行うようになっていきます。
やがて忌部氏が本拠地としたのが当社、天太玉命神社の鎮座する大和国高市郡忌部だったのです。

4170661-2018-04-21-19-00.jpg

しかし時代が過ぎ、奈良時代になってくると、中臣氏の勢力が拡大し、忌部氏は宮中祭祀から排除されるようになります。
そのころ忌部氏は、崇仏派の蘇我氏と共に行動していたのも、排仏派の中臣氏にとっては目の上のたんこぶだったのかもしれません。

4170665-2018-04-21-19-00.jpg

7世紀中頃になると、忌部氏は玉造りを主たる生業とするようになったと云います。

4170662-2018-04-21-19-00.jpg

中臣氏は「天児屋根」を祖神とする、おそらく朝鮮方面からの渡来系の一族と思われ、大阪の枚岡神社を本拠地としています。
このことから中臣から藤原に姓を変えた鎌足、ひいては不比等らも、渡来人であると考える人もいますが(僕もそう思っていました)、藤原姓の人たちはちょっと事情が違うようです。

4170663-2018-04-21-19-00.jpg

ともかくも、人の良い出雲人は、ここでも我の強い渡来人に押し込まれていったのです。

4170664-2018-04-21-19-00.jpg

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中