天が淵:伝・八岐大蛇(2)

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高天原の姉アマテラスの元を訪れたスサノオは、最初こそ大人しくしていたものの、次第にやんちゃぶりを発揮し、大迷惑騒動を起こします。
アマテラスの神殿にうんこ撒き散らしたり、アマテラスの畑の溝を埋めてみたり、etc.etc…
それでも姉は弟が改心するのを期待して我慢します。
そしてついに事件は起こりました。

スサノオはついにやっちゃいました、やりすぎました。
はた織り部屋に、こともあろうか皮を剥いだ馬を投げ込んだのです。
それに驚いた織女がはた織り機に、大事な部分をぶつけて死んでしまいます。
ついに殺人事件勃発です。
これを聞いたアマテラスは、日本初のヒキニート、天岩戸に隠れてしまいました。
世界は真っ暗です。

なんだかんだ話し合った神々は、アメノウズメというちょっとエッチなお姉さんに裸踊りをしてもらい、皆でどんちゃん騒ぎ。
それが気になったアマテラスはちょっと外を見てみたすきに、力持ちのタヂカラオが岩の扉をポーンします。
で、ふたたび世の中は明るくなってドンマイなのですが、ヤツにはケジメをつけさせなければなりません。
そう、スサノオです。
オコな神々はスサノオを高天原から追放したのです。

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高天原を追われたスサノオは、しゅんとして放浪の旅に出ます。
そして出雲國の鳥髪(とりかみ)に降り立ちました。

スサノオが川を眺めていると、箸が流れてきます。
「人がいるのか」と不思議に思い、川を上るとそこには、美しい娘と、さめざめと泣く老夫婦の姿がありました。
スサノオが話を聞くと、老夫婦の間には8人の娘がいましたが、年に一度、8つの頭と8本の尾を持った巨大な蛇の怪物「ヤマタノオロチ」がやってきて娘を食べてしまうといいます。
今はもう8人の娘も1人となり、もうすぐやってくるヤマタノオロチにその娘も食べられてしまうと泣いていたのです。

最後に残った娘は、それはもう超かわいい娘でした。
スサノオにぐっとやる気がみなぎります。

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そして彼は、世にも恐ろしい大蛇ヤマタノオロチを退治することにしたのです。

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【八岐大蛇公園】
スサノオは高天原から鳥髪の峰に天降ったあと、斐伊川の上流から箸が流れてくるのを見つけ、川上に人が住んでいることを悟ったと云われています。

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 この箸を拾った場所は木次町新市の地であったと伝えられ、そこは「八岐大蛇公園」という小さな広場になっています。

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公園内には、一頭ではありますが、ヤマタノオロチの像があり、

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そこにスサノオが相対して凛々しくも睨みを利かせています。

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中央には「箸拾いの碑」が建立されていますが、スサノオが天降った鳥髪山に斐伊川の源流があり、そこから下ってこの地で箸を拾い、川上に人の存在を悟るという、なんともちぐはぐな設定になっています。

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しかし神話とはそういうもの、あまりこだわらない方が楽しめるものです。

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【天が淵】
斐伊川上流、木次町と吉田町境にある「天が淵」はヤマタノオロチが住んでいたと伝えられる場所です。

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ヤマタノオロチは八つの頭と尾を持ち、身体は日陰かずらやヒノキや杉が生えていて、八つの谷と八つの峰に及ぶ大きさを持つと云います。
目は赤く、その腹は血にまみれて濡れていたと。
そんな怪物が棲むには、やや浅い淵ではあります。

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しかし深淵な雰囲気はそこはかとなく感じられる、そんな場所でした。

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富家の伝承では、古代インドからやって来たドラヴィダ族が、島根の辺境の地に住み着いたのは、そこに黒い川があったからだと述べています。
「黒い川」とは、砂鉄が採れた斐伊川のことと思われます。
斐伊川の川底や河原には、砂鉄がたまり黒く見えることがあったそうです。

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良質な砂鉄は、「野だたら」で鉄を作るのに必要でした。
川で砂鉄を掬う道具は「簸」(ひ)と呼ばれ、当初は葦の茎で編んだザルでした。
後に竹で簸がっくられ、稲作が始まった後では農具になったそうです。
だから、川の名の語源は「簸の川」となります。

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【長者の福竹】
アシナヅチ、テナヅチとクシナダヒメは、ヤマタノオロチから逃れようと伴昇峰(ばんしょうがみね)という山に登りました。

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その時、休憩した場所に使っていた竹の杖を地面に立てたところ、杖から根が出たことから「長者の福竹」という地名になったと云われています。

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長者の福竹と伝わる場所には、今は竹は無く、

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畑の中心に南天が植えてありました。

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