鳥髪山:伝・八岐大蛇(1)

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出雲の中心をゆったりと流れる斐伊川。
その川を上流へ遡っていくと、出雲神話の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説にゆかりのある神社などが多数鎮座しています。
その聖地を訪ね歩いて、スサノオとヤマタノオロチの物語を追います。

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【船通山】
島根と鳥取の県境、広島・岡山にも程近いところに「船通山」(せんつうざん)があります。
船通山は標高1,142mの山で、出雲地方では古来「鳥上山」(鳥髪山)あるいは「鳥上峰」(鳥髪峰)と呼ばれてきた山です。
天界「高天原」を追われたスサノオは、この山に降り立ち、その麓でヤマタノオロチを退治するという物語が八岐大蛇伝説です。

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船通山は気軽に登れる山ということですが、この日は天候も悪く、登山はしませんでした。
代わりに近くに「山ノ神神社」というとことがあったので、そこへ立ち寄ってみます。

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船通山には「スサノオが、志羅伎(しらぎ)国より五十猛(いそたけ)とともに埴舟に乗って、たどりいた」との伝説があります。
船でたどり着いた場所がこんな山の山頂であるというのは、不思議な話です。
スサノオは海から来たということを暗に示すため、鳥髪山に船の名を付けたと云う話を目にしました。

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東出雲王家の直系子孫と謳う「富家」の伝承では、この八岐大蛇伝説は、大和から出雲を攻めた吉備津彦軍の歴史を神話化したものであると伝えています。

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大和7代大王の「フトニ」は鉄を求めて岡山に都を移します。
それが吉備王国となりますが、そこから親戚であるはずの出雲王国に向けて、息子の「大吉備津彦」と「若吉備津彦」に軍を送り込ませたのです。

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それまで、丹波軍の猛烈な攻撃を受けていた出雲王国は、親戚の吉備軍が援軍に来てくれたと油断していました。
吉備軍は丹波軍を追い払った後、その攻撃の矛先を出雲王国に向けたのです。
大吉備津彦らは出雲の血も引いていましたが、海家、つまりスサノオの血を引いていました。
なので彼らの進軍はスサノオの伝説として神話化されたのです。

https://omouhana.com/2018/01/03/樂樂福神社:八雲ニ散ル花%E3%80%8036/

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船通山山頂には、「天叢雲剣出顕之地」という記念碑が建っています。
これはスサノオがヤマタノオロチを倒した時、その尾の先から「天叢雲剣」を発見した神話にちなんで建てられたものだと云います。
また山中には高さ16mの「鳥上滝」があり、この滝の水はヤマタノオロチが住んでいたとされる斐伊川の源流となっています。

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【温泉神社】
雲南市木次町湯村にある「温泉神社」を訪れます。

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ここはクシナダヒメの両親、「アシナヅチ」「テナヅチ」が祀られています。

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鳥髪山に降り立ったスサノオは、川から箸が流れて来たのを見て、誰か人がいるようだと川上に足を進めました。
鳥髪山山頂に降り立ったはずのスサノオが、なぜか川の上流を目指すという矛盾はこの際無視します。

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するとそこに、一人の娘を挟んで、さめざめと泣き崩れる老夫婦がいました。
それがアシナヅチ・テナヅチであり、真ん中にいた娘が「クシナダヒメ」でした。

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スサノオが老夫婦に泣いている理由を尋ねると、「私たちには、8人の娘がいたのですが、ヤマタノオロチがやってきては、毎年娘たちを一人ずつ食べてしまいました。そして今年もまたヤマタノオロチがやってくる時がきたので、最後の娘であるクシナダヒメも食べられてしまうかと思うと悲しくて、涙が止まらないのです。」と言いました。

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参道にある大杉は、樹高15m、目通り幹囲5.3m、推定樹齢は200-300年とされています。

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天が淵の近くにある万歳山(ばんざいさん)にアシナヅチ・テナヅチは住んでいたと伝えられていて、かつてこの山腹に、二人を祀る神岩があったそうです。

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その岩は「二神岩」(ふたごいわ)と呼ばれていましたが、山崩れで参道道がなくなり、天ヶ淵の上に玉垣を設けて拝神していました。

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後に国道改修にともない、その神陵が温泉神社境内に遷座されました。
その神陵がこれです。

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それぞれ木製の囲いの中に、

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土から突き出た石が祀られています。

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囲いや土台から見ても、さほど大きな石でもなさそうですが、何処と無く神聖な雰囲気はたずさえていました。

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【稲田神社】
出雲町にある「稲田神社」(いなたじんじゃ)は、その名の通り「稲田姫」(いなたひめ)を祀る神社です。

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稲田姫とは八岐大蛇伝説のヒロイン、クシナダヒメのことです。

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当社の近くが、姫の出生地だと伝えられています。

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境内には姫のそば「ゆかり庵」という評判のお蕎麦屋もありますが、早朝のため残念ながら営業していませんでした。

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ヤマタノオロチに、今にも生贄に差し出されようとするクシナダヒメを、妻に迎えることを条件にスサノオはオロチ退治を請け負います。

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ただしあくまで神話であるこの話に対し、史実と謳う富家の伝承では、稲田姫は出雲王国初代王「菅之八耳」(スガノヤツミミ)の妻であったとし、8代王大国主の時代に渡来したスサノオ・徐福とは時代が全く合わず、二人が出会うことはなかったと伝えています。

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当社の現在の社殿は昭和13年(1938年)に九州小倉の石炭王「小林徳一郎」氏が寄進したものだそうです。
氏は当地出身だったようで、出雲大社の大鳥居も寄進しているということで、当宮司は出雲大社の千家家が代々勤めているそうです。

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拝殿の裏手に回るともう一つ社殿があり、

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幣殿が設けられています。

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そのさらに後ろに、本殿が鎮座します。

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境内を出たところに

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臍(へそ)の緒を竹で切ったと伝えられる「笹の宮」があり、往古にこのあたりに小さな祠を建てたのが当社の始まりだと言い伝えていました。

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