崇神天皇66年、ヤマトヒメは隠市守宮から穴穂宮へ遷り、そこで4年間奉斎した。 ヒメがその地に至った時、伊賀国造が、箆山葛山戸(みふぢくろかづらやまのへ)と、地口・御田を進呈した。 また鮎取る淵・梁作る瀬など、朝御饌・夕御…
月: 2018年5月
美波多神社:斎王〜倭姫命世記を追う 07
田園の中に建つ、名張市新田の「美波多神社」(みはたじんじゃ)を訪ねてみました。 当社は、「隠市守宮」の候補地の一つとされた、「田村大明神」(たむらだいみょうじん)を合祀していると云われています。 元の田村大明神は、名張市…
名居神社:斎王〜倭姫命世記を追う 06
三重県名張市下比奈知にある「名居神社」(ないじんじゃ)も、「隠市守宮」の候補地とされる神社の一つです。 参道の先にある杜へ足を進めます。 天に突き抜けるような大樹が立ち並びます。 社名の「ナイ」は、地震の古語であると云わ…
宇流富志禰神社:斎王〜倭姫命世記を追う 05
崇神天皇六十四年、ヤマトヒメは伊賀国隠市守宮に遷幸した。 彼の地で二年間奉斎したと云う。 倭姫命世記に記された比定地を巡って、三重県名張市にやってきました。 「宇流冨志禰神社」(うるふしねじんじゃ)です。 境内の入り口に…
篠畑神社:斎王〜倭姫命世記を追う 04
奈良県宇陀市榛原にある「篠畑神社」(ささはたじんじゃ)は、『倭姫命世記』にある「佐佐波多宮」の比定地のひとつです。 篠畑神社を探していると、棚田が広がる細い道に入り込みました。 たまたまいらっしゃった、地元の方にお願いし…
劔主神社:斎王〜倭姫命世記を追う 03
元伊勢「宇多秋宮」に比定されると云う、奈良県宇陀市大宇陀宮奥の「劔主神社」を訪ねました。 細い車道の一角に鎮座します。 こじんまりとした境内に、巨木が立ち並んでいます。 見渡すと、やや寂れた感じを受けました。 祭神は「剣…
阿紀神社:斎王〜倭姫命世記を追う 02
トヨスキリビメから後事を託されたヤマトヒメは、生まれながらにして容姿端麗、聡明叡智、貞潔で神明に通じる、と云われていた。 崇神60年、ヤマトヒメは大和国の宇多秋宮に遷り、4年間奉斎した。 ある時、ヤマトヒメの夢に天照大神…
興喜天満神社:斎王〜倭姫命世記を追う 01
奈良の長谷寺鎮守として鎮座する「與喜天満神社」(よきてんまんじんじゃ)は、長谷寺の寺領として伐採が禁じられてきた、455mの与喜山の中腹にあります。 そこは、古代大和国では最初に太陽があがる神聖な山として、天照大神降臨の…
日御碕神社:八雲ニ散ル花 終
「父上、ご覧ください。ようやく、先祖の神々も、長い旅を終えようとしています。」 そこには日置王と名を変えた太子の御子が、夕日を眺め佇んでいた。 … 都落ちをした太子の御子「日奉王」は、西出雲の神門郡の郷家に着いた。 旧西…
叡福寺:八雲ニ散ル花 85
尾治大王の皇女「伊那部姫」は、上宮法王の元に嫁いだ。 大王は法王と血縁で結び、和睦したいと考えていた。 斑鳩宮の東方には、法王の母君「穴穂部間人姫」の住む中宮がある。 間人姫は、用明大王の没後、多米王と再婚したが、彼とと…
法隆寺:八雲ニ散ル花 83
推古8年、女帝は、大臣の石川麻古を呼んで告げた。 「息子の尾張皇子が成人したら、次の大王に任命します」 「ちょっと待ってください、先に上宮太子を次の大王にすると約束したではないですか」 大臣は驚いて反対した。 女帝は冷た…
久米寺:八雲ニ散ル花 83
601年2月に、広い斑鳩大宮が出来上がり、橘宮から舎人たちが移っていった。 その大宮は、外側に太子の住居の大殿があり、横に四角の夢堂があった。 この大宮の形は、太子が大王になる準備をしたことを示していた。 それを察した推…