山辺赤人の墓:八雲ニ散ル花 68

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宇陀市榛原山辺三に「山辺赤人の墓」がありましたので、訪ねてみました。

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側まで車で行けましたが、離合できないくらいの細い山道を数キロ走ります。

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ここから北の奈良市此瀬町の茶畑から、1979年に、山辺赤人と同一人物とみられる太安万侶の墓が発見されました。
中には当時としては珍しい、銅板に刻まれ墓誌があったそうですが、内容は続日本紀とほぼ同じだったと云います。
これは偽の証拠として、作られた可能性が大きいと斎木雲州氏は述べています。

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山辺赤人の墓と伝わる場所には、古びた五輪の石塔がひっそり立っていました。

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車道の反対側には、細い登山道が続いています。

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太安万侶は以前から、山辺家の養子になることが、決まっていたらしいと云います。
日本書紀の天武紀元年6月に「山辺君安麻侶」の名が書かれており、山辺家の家系図にも、赤人は山辺家に養子として迎えられていることになっているそうです。
これらの伝承が、太安万侶と山辺赤人が同一人物である証拠の一つとなり得るようです。

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