鬼の俎・鬼の雪隠・猿石:八雲ニ散ル花 73

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奈良県の明日香村に、「鬼の俎」(おにのまないた)・「鬼の雪隠」(おにのせっちん)と呼ばれる変わった石があります。
雪隠とは、いわゆるトイレのことで、切れ目の入ったまな板のごとき巨石と、男性用トイレのような巨石が、近い場所に鎮座しています。

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不思議な形のこの石は、欽明大王の梅山古墳の「陪塚」、石室の跡であるということです。

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長らく続いた平群王朝に終止符を打った蘇我家の「継体」(オホド)大王、その後の蘇我王朝も安泰ではなかったと云います。
継体大王の没後の2年間は、大王は空位となっていました。
オホドの三男「広庭」(ヒロニワ)皇子が大王になりたがったとのことでしたが、重臣がまだ若すぎるとなだめるのに2年かかったと云うことです。
533年2月に、オホドの長男、蘇我家の「金日ノ君」が68才で即位し、「安閑大王」となりました。
しかし安閑大王の在位期間は2年と短いものでした。
次にオホドの次男で、同じく蘇我家のオシタテが「宣化大王」として即位しましたが、在位期間は4年であり、73才で没します。

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このオホドの長男と次男は、彼の前妻、「蘇我振姫君」の子でした。
続いて念願の王の座に着いたのが、三男ヒロニワ皇子です。
彼の母は、前大雀王朝につながる仁賢大王の娘「手白香姫」でした。
なのでヒロニワは、自分が正当な大王の血統だと、信じていたと云います。
彼は大王になれないかも知れぬ不安から、前2代の大王暗殺を頼んだと思われます。

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この鬼の俎・鬼の雪隠と呼ばれる陪塚に葬られた人は、「欽明」(ヒロニワ)大王の皇子と妃であった、と考えられています。
つまり前2代の大王の子孫が、ヒロニワに恨みを持ち、その子孫の墓を暴いて辱めた、ということのようです。
その形状から、今は面白がった名前が付けられていますが、被葬者の霊はさぞ苦々しく感じていることでしょう。

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欽明大王の古墳とされる「梅山古墳」(うめやまこふん)が、同じく明日香村にあります。
形状は前方後円墳です。

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欽明は崇仏派の大王でしたが、立場として仏教だけ尊重することは出来ませんでした。
それで、多くの宗教の石像を造らせましたが、孫の吉備姫の望みで造った「猿石」は、宮殿の庭の奥に並べられたと云います。

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梅山古墳と隣接するように、小さめの古墳があります。

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それは吉備姫の古墳と云われ、猿石は今はその境内に置かれています。

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猿石と呼ばれるそれらは、当時の石工の未熟な技術のため、神聖な感じが乏しく感じられます。
猿石はサルタ彦大神を表しており、彼は子孫繁栄の神であるので、多くは「性器」を示しています。

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1つの猿石は細面で乳房も有していますので、「女神石」と呼ばれます。
しかしその顔は、どうみても爬虫類系のそれです。

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2つ目の石は髪の毛が少ないので、「僧石」と呼ばれています。
両手で包むように持たれているものは、神主などが使う笏板と解されていますが、どうやら男根を示しているというのが真実のようです。

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3つ目のものは、「男神石」と呼ばれ、鳥帽子をかぶり腕組みしています。
やはり股間に性器が彫られています。

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4つ目の石像は、「山王権現石」と呼ばれます。
この男神の後ろには、中国の治水神「僕父神」の妻の顔が彫られているようです。
撲父神と妻神が、当時の幸ノ神と混同されて表現されています。
これらの稚拙で猥雑な石像が、当時のおおらかな魅力であるといえば、そうとも取れるのかもしれません。

日本創世の歴史を辿る「八雲ニ散ル花」シリーズもいよいよ最終章です。
富家の伝承をもとに、出雲王国の始まりから始まった旅路も、いよいよ聖徳太子と呼ばれる人物の時代に突入です。

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