久米寺:八雲ニ散ル花 83

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601年2月に、広い斑鳩大宮が出来上がり、橘宮から舎人たちが移っていった。
その大宮は、外側に太子の住居の大殿があり、横に四角の夢堂があった。
この大宮の形は、太子が大王になる準備をしたことを示していた。

それを察した推古女帝は、翌年の2月、太子の弟「久米王」を新羅征討将軍に任命した。
久米王は筑紫に向かい、佐賀地方の旧物部勢力の屋敷に立ち寄ったが、そこで病になり翌年に、死去した。

次に太子の弟「当麻王」が、征討将軍に任命され、筑紫へ向って出発した。
しかし王に付いて行った嫁が途中で発病したという。
当麻王は途中から都に帰ってしまった。

推古女帝が大王に就任した時、次の大王は上宮太子だと言われ、太子が摂政の役に就くことになった。
しかし自分は大王になれないのではないか、と太子は感じていた。

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畝傍山(うねびやま)の南、橿原神宮(かしはらじんぐう)のそばにある「久米寺」を訪ねました。

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山門には、立派な阿吽の仁王が鎮座します。

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久米寺は、推古天皇2年の時、聖徳太子の弟「来目皇子」(くめのおうじ)が創建したと伝えらる古寺です。

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来目皇子は幼少の頃、眼病を患い両目を失明しましたが、聖徳太子のお告げで薬師如来に祈願したところ平癒したと云われています。

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このことから自らを来目皇子と称したと伝えられています。

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境内には京都の仁和寺から移建された「多宝塔」(重要文化財)があります。
曲線を帯びた、艶やかな佇まいです。

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当院には「久米仙人伝説」というものも伝わっています。

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久米仙人は、欽明天皇の御代、金剛山麓葛城の里に生まれ、吉野山麓の龍門ヶ獄(りゅうもんがたけ)で神通飛行術を取得したそうです。
その後、百数十年もの間、久米寺に住んでいた久米は、聖武天皇の東大寺大仏殿建立の際、仙術で大木・大石の数々を三日三晩で大仏殿境内まで飛ばし集めたのだと伝えられています。

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ある日、神通力を得て空中を飛びまわっていた久米は、川で洗濯している美しい女性のふくらはぎに目がくらみ、神通力を失い墜落したという話です。

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