トヨスキリビメから後事を託されたヤマトヒメは、生まれながらにして容姿端麗、聡明叡智、貞潔で神明に通じる、と云われていた。
崇神60年、ヤマトヒメは大和国の宇多秋宮に遷り、4年間奉斎した。
ある時、ヤマトヒメの夢に天照大神が現れ言った。
「高天原に坐した時、私が見た国に、私を祀りなさい」
そこで、ヤマトヒメは日の昇る東を向いて
「私の志に沿って行くところに、佳きところあれば、未婚の童女に逢えますよう」と祈祷し、幸行した。
ヒメがしばらく進むと、佐々波多の門、菟田の筏幡に差し掛かった時、童女が現れた。
「汝は誰ぞ?」
ヤマトヒメが問うと、、
「私は天見通命の孫、八佐加支刀部(やさかきとめ)の子、宇太乃大称奈(うだのおおねな)と申します」
と童女は答えた。
さらにヤマトヒメは、
「汝は私ともに、アマテラス様にお仕えされますか」
と問うと、宇太乃大称奈は、
「仕えさせていただきます」
と言った。
そして、ヤマトヒメはこの宇太乃大称奈を「大物忌」(おほものいみ)に定め、天岩戸の鍵を預け、近くに仕えさせたと云う。
宇陀市の山村に、「阿紀神社」(あきじんじゃ)がありました。
元伊勢「宇多秋宮」に比定される当社の前には、五十鈴川と言わんばかりの小川が流れています。
しっとりとした雰囲気の神社です。
先ほどの小川には、降りて禊ができるようになっています。
当社古文書では、神武東征の折、紀州熊野の難所を越し、大和国宇陀へ出て、当地阿騎野において御祖の神を祀ったとあります。
その際、朝日を後に戴き、日神の御位勢を借りて賊軍を打ち払い、御運を開かせたのだと云います。
神明造の社殿です。
倭姫命世記によると、ヤマトヒメはここに4年滞在し、奉斎したとあります。
その時天照大神から、自分の望む場所へ祀るよう、神託を受けます。
それに対し、ヤマトヒメはその神託を確かめるため、真ならこの先で童女に合うよう祈祷しました。
すると正しくその通りに、宇太乃大称奈という童女に出会ったということです。
宇太乃大称奈は、「黒き心を無くして、丹き心を以って、清く潔く斎み慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さず、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に回ることも、万事違うこともなくして、アマテラスに仕えた」と記されています。
はじめをはじめとし、もとをもとにする所縁と伝えられていました。
ヤマトヒメの旧跡、「照巣」(てれす)なるものがあると、境内に記されていましたので訪ねてみます。
境内を出てすぐに、「高天原」という看板を見つけました。
ここは阿紀神社の旧社地で、かつて天照大神を祀っていた場所だと云います。
そして「照巣」とは、さらにその昔に、天照を祀っていた聖地なのだということのようです。
とりあえず高天原とやらを目指します。
しばらく丘を登っていくと、
その場所が見えてきました。
高天原と記された石垣の上には、
小さな石が置かれていました。
阿紀神社境内にあった地図を頼りに、照巣を探します。
しかし特に案内板・看板があるわけでもなく、
難航しました。
山の神と彫られた、小さな石を見つけましたが、どうやらこの辺り一帯が「照巣」のようで、明確な石碑などは無いようです。
ヤマトヒメはこの辺りで、天照大神を祀った、ということになるのでしょうか。
ここで神託を受け、ヒメの長い旅が始まるのです。