崇神天皇66年、ヤマトヒメは隠市守宮から穴穂宮へ遷り、そこで4年間奉斎した。 ヒメがその地に至った時、伊賀国造が、箆山葛山戸(みふぢくろかづらやまのへ)と、地口・御田を進呈した。 また鮎取る淵・梁作る瀬など、朝御饌・夕御…
日: 2018年5月31日
美波多神社:斎王〜倭姫命世記を追う 07
田園の中に建つ、名張市新田の「美波多神社」(みはたじんじゃ)を訪ねてみました。 当社は、「隠市守宮」の候補地の一つとされた、「田村大明神」(たむらだいみょうじん)を合祀していると云われています。 元の田村大明神は、名張市…
名居神社:斎王〜倭姫命世記を追う 06
三重県名張市下比奈知にある「名居神社」(ないじんじゃ)も、「隠市守宮」の候補地とされる神社の一つです。 参道の先にある杜へ足を進めます。 天に突き抜けるような大樹が立ち並びます。 社名の「ナイ」は、地震の古語であると云わ…
宇流富志禰神社:斎王〜倭姫命世記を追う 05
崇神天皇六十四年、ヤマトヒメは伊賀国隠市守宮に遷幸した。 彼の地で二年間奉斎したと云う。 倭姫命世記に記された比定地を巡って、三重県名張市にやってきました。 「宇流冨志禰神社」(うるふしねじんじゃ)です。 境内の入り口に…