名居神社:斎王〜倭姫命世記を追う 06

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三重県名張市下比奈知にある「名居神社」(ないじんじゃ)も、「隠市守宮」の候補地とされる神社の一つです。

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参道の先にある杜へ足を進めます。

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天に突き抜けるような大樹が立ち並びます。

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社名の「ナイ」は、地震の古語であると云われています。

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『日本書紀』によれば第33代推古天皇7年、大和地方を中心に大地震があったため、諸国に地震の神が祀られたと記されています。

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伊賀では、地震の神が祀られたのが当社であると伝えられています。

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祭神は大己貴命に、少彦名命、天兒屋根命、市杵嶋姫命、事代主命、蛭子命を配祀しています。
やはり出雲系の神が目立っている印象です。

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本殿は朱色の雅な造り。

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当社は、江戸時代には「国津大明神」という名前で呼ばれており、比奈知川上流に散在していた国津神社の総社という位置づけであったと云います。

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また、祭神に関しては本来、名張臣の祖「大彦命」とする説もあると聞きました。

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大彦とは磯城・大和王朝の皇子「中曽大根彦」のことであり、記紀に「ナガスネヒコ」と記された人物です。
大彦はことさら、出雲の神を信奉したと云います。

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大彦が東北に逃れる過程で、彼に付き従う者ものは各地に散らばりました。
当地も大彦の子孫、もしくはゆかりの者が名張臣となり、ここに国津神として大彦を祀ったのだと思われます。

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