美波多神社:斎王〜倭姫命世記を追う 07

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田園の中に建つ、名張市新田の「美波多神社」(みはたじんじゃ)を訪ねてみました。
当社は、「隠市守宮」の候補地の一つとされた、「田村大明神」(たむらだいみょうじん)を合祀していると云われています。
元の田村大明神は、名張市にあった小祠だったそうです。

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辺り一帯は開けていて、明るい印象の神社です。

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しかしそれは、1998年の台風7号によって、周りの大木が全て折れてしまったからなのだそうです。

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素朴ながら反りのある鳥居。

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まっすぐに伸びた参道は、爽やかな風が吹いています。

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当社の祭神は、

 天照大御神
 応神天皇
 天児屋根命
 加納直盛公(かのうなおもりこう)
 大山祗神
 宇迦能御魂命
 火之迦具土神
 大物主神
 建速須佐之男神
 天手力男之命
 五男三女神
 菊理比売神
 大綿津見神
 菅原道真公
 国津大神

という、神様デパート状態です。

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当社は、新田村が作られたとき、天照大神・春日・八幡を勧請して村の鎮守として祀ったのが始まりとされ、当初は「三柱神社」と呼ばれていました。
後の明治16年、新田区内の全神社19社を合祀して「大御原神社」と改称し、さらに明治42年に東田原村の「九頭神社」、中村の「国津神社」、小波田村の「福田神社」を合祀して美波多神社と改称しました。
この合祀に合祀を重ねた結果が、今の祭神となっているようです。

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しかしその神社合祀の歴史は、紐解くと、とにかくすさまじいものでした。
三柱神社から大御原神社に変わる過程で合祀された新田区内の19社は、以下になります。

加納神社
山神社7社
愛宕神社5社
八幡神社
津島神社3社
稲荷神社
金刀比羅神社

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大御原神社に合祀される前の九頭神社には以下の神社が合祀されていました。

八幡神社
愛宕神社
津島神社2社
菅原神社
神明神社
山神社5社
金刀比羅神社
市杵島神社

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大御原神社に合祀される前の国津神社には以下の神社が合祀されていました。

津島神社
稲荷神社
山神社3社
愛宕神社
金刀比羅神社

また、大御原神社に合祀される前の福田神社には以下の神社が合祀されていました。

神明神社
八柱神社
市杵島神社
津島神社2社
山神社3社
金刀比羅神社
白山神社

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こうして新田村のすべての小社が融合した姿が、今の美波多神社だと云いますが、それにしても凄まじき合祀の数々。

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さぞ神々も窮屈かろうと思われますが、不思議と穏やかな気配が漂う神社となっています。

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江戸時代の国学者「伴信友」は『倭姫命世記考』で、隠市守宮について、「名張郡東原村ニ、田村大明神トイフ小祠アリ。是乎」と述べています。
美波多神社の大元の社名を冠した「三柱神社」が、本殿右手に建っています。
その手前には、「雨乞石」なるものが置かれていました。

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田園地帯にあって、干ばつは最も恐ろしいものだったのでしょう。
土地の方々の信仰心の厚さを感じさせる霊石でした。

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