斎場御嶽(君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ)

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沖縄本島最大の聖地、「斎場御獄」(せーふぁーうたき)。
世界遺産にも登録されたその聖地は、琉球諸島のほとんどの御嶽が今なお聖域として部外者の侵入を拒んでいるのに対し、なぜか観光化され、一般人の立ち入りを許しています。
神秘を明かされた聖地が何を語るのか、心静かに訪ねてみました。

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斎場御嶽の駐車場は、南城市地域物産館の駐車場と兼用になっています。

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そこから斎場御嶽まで、7,8分ほどの距離を歩くことになります。
途中の参道ではスイーツ系のショップなどもあり、退屈することはありません。

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物産館ではお土産物などを買うことができますが、そこでウミヘビの見事なミイラを見つけました。
出雲の古い信仰でもウミヘビのミイラを龍神として祀っていたのを思い出します。

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物産館の裏手から見る海の景色が最高でした。
空と海の境界が曖昧に見えるほど、美しい沖縄の景色です。

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斎場御嶽の入り口は「緑の館・セーファ」という建物になります。
ここで入場料を支払い、ビデオを鑑賞します。
ビデオでは斎場御嶽の簡単な紹介と、守るべきマナーについて学びます。

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「斎場」とは霊域の高い聖なる場所という意味を持ち、「御嶽」は神が降臨する場所であり聖域を示しています。
斎場御嶽の呼称はいわば通称であって、当地の正式な名称(神名)は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」と言うそうです。
「イビ」は神域を示しますので、「最高神女たる聞得大君や王の拝みの場である神域」という意味になるのでしょう。

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「緑の館・セーファ」前の芝生のところに、「御待御殿跡」があります。
霊威を得て神女となった聞得大君が、御待御殿で神と共寝して夜を過ごした場所と云われています。

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参道左手に「泉」(カー)と記された石碑がひっそりとあります。

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カーとは泉・井戸を示しています。
ここで禊などを行ったのでしょうか。

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斎場御嶽は、琉球の最高神女(さいこうしんじょ)であった「聞得大君」(きこえおおきみ)の就任の儀式が執り行わられ、王の求めで国の吉凶を占う儀式も行われた、琉球王国最高の聖地でした。

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ここは本来、一般人、特に男性の立ち入りは厳禁とされ、王であっても女性の衣装に変えて入域しなければならないほどの聖域だったと云われています。

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パンフレットによると、敷地内には5ヶ所(+1ヶ所)の「神域」(イビ)が記されています。

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その一番目のイビ「御門口」(ウジョウグチ)へとやってきました。

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ここは斎場御嶽の入り口にあたり、この先は王府関係者しか入域できなかったと云われています。

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入り口の右横に四角い石の香炉が6つ置かれていますが、これは御嶽内にある6つのイビを示し、分身であることを表しており、一般人はここで遥拝したそうです。
いわば神社における拝殿の役割を持っていました。

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横を見ると、「久高島」を遥拝する場所があります。

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久高島は琉球神道における最高神「アマミキヨ」が降り立ったとされる神の島です。

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「ニライカナイ信仰」とも呼ばれる琉球の信仰において、久高島は島自体が御神体として扱われます。
ここからは左に垣間見れる程度ですが、琉球人はその美しい島の姿を憧れ、崇めたことでしょう。

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「御門口」の手前に、順路から外されたイビへ通じる道があります。
崩落が激しいので、気をつけて降りていきます。

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その先には砲台跡があり、

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「ウローカー」と呼ばれる泉がありました。

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ここは斎場御嶽に入る前に身を清める場所とされていました。

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今では水はほとんど枯れかけていますが、今もひっそりと大切に守られ続けています。

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御門口から先は、一気に森の気配が強くなり、秘境の様相を見せ始めます。

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しばらく行くと、開けた場所に出ました。

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「大庫理」(ウフグーイ)と呼ばれるイビです。
ここは聞得大君の就任の儀式「お新下り」(おあらおり)が行われる場所です。

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聞得大君(きこえおおきみ・チフィジン)とは「最も名高い神女」という意味で、琉球の信仰における神女・祝女(ノロ)の最高位の呼称です。
聞得大君は、琉球王国国王と王国全土を霊的に守護する存在として崇められました。
そのため、国王の姉妹など主に王族の女性が聞得大君として任命されています。

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お新下りの儀式では、前面にある正方形に近い磚(せん)敷きで他のノロに祝福され、聞得大君は就任します。

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そして聞得大君はここで琉球王国の豊穣を祈り、あらゆる災難を払いのけ、先祖を祀ったのだそうです。

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聞得大君の初代は「月清」という名で、1470年ごろに在位しています。
以後、1944年に十八代目となる「思戸金翁主」まで続くも、戦後廃止されたと云います。
公的には廃藩置県時1892年までとされていますが、その後も制度は続けられていたそうです。

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古来、琉球では女性の方が男性よりも霊力が強いと考えられており、神に仕えるノロやシャーマンであるユタも女性でした。
「ヲナリ信仰」というものがありますが、これは妹の霊力が兄に強く作用し、守り神のごとく守護するという信仰です。
兄は妹(姉)をヲナリ神と呼び、神格化しました。

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古代琉球において、氏祖が祀られた御嶽を中心に村落が形成されると、氏祖に近い血縁者が村を支配指導するようになりました。
村の統治者は神託によって村を治めるため、妹を「ノロ」と呼ばれる「神人」(カミンチュ)に指名します。
ここに妹(或は姉)の神託をもとに兄(或は弟)が治める政教二重主権が生まれました。
やがて琉球統一がおこなわれ、王が即位すると、その姉妹から選ばれたノロは聞得大君と呼ばれるようになります。

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琉球には他に、「ユタ」と呼ばれる呪術宗教職能者が存在します。
ユタはもっぱら死霊の憑依を受けてトランスに入り、いわゆる口寄せを行う巫女(シャーマン)のことです。
ノロが御嶽などで神託を受け、公的守護者となるのに対し、ユタは個々の家や家族に関する私的な呪術信仰を受け持っていました。

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「大庫理」を後にし、ぐるりと反対側に回り込むように歩いて行きます。

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二手に分かれる道がありますが、「寄満」と記された方へ先に進みます。

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すると門のような大岩があり、

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その先に怪物がぽっかり口を開けたような岩がありました。
ここが「寄満」(ユインチ)です。

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ユインチとは王府の言葉で「台所」を意味しますが、ここは「寄せて満ちる」の文字のとおり、当時貿易で栄えた琉球王国に寄せられ、満ちた交易品の数々が集まった場所とされています。

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斎場御嶽の霊域内で最も奥にある寄満は、僕が一番、畏怖を感じた場所でした。

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琉球王国は祭政一致の政策を敷き、各地の類似信仰を吸収、弾圧、廃止などを行い統制化しました。

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各地で様々に呼ばれた聖域を「御嶽」という名称でまとめ、女神官であるノロは階級化さます。
個々の集落のノロがその御嶽を管理し、地方の豪族領主である按司の血縁の女性がその地域全体を統括するノロとして「大阿母」(オーアム)と呼ばれるようになります。
そしてさらに、国王の血縁の女性をノロの頂点である聞得大君としたのでした。

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琉球王国の諸島統一化に対し、全ての集落が従順に従ったわけではないはずです。
石垣島の美崎御嶽に伝わる「オヤケアカハチ事件」のような抗争が各地であり、武力で制圧されたものと思われます。

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そう思えば、竹富島の一集落の御嶽で感じた霊圧と、王国随一の御嶽とされる当地のそれは、似ていながらも非なる印象を感じざるを得ません。
竹富島の御嶽の方が、もっと原始的で、野性的な霊圧を強く感じたような気がしました。

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いよいよ斎場御嶽の最終地、「三庫理」(サングーイ)へとやってきました。

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そこは見るものを圧倒する、巨大な岩が覆いかぶさっています。

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往古より時が止まり続けたかのような空間。

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巨大な岩の壁面側には「貴婦人様御休み所」と説明された石板敷があり、

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巨大な石のつららの下には、そこから伝い落ちる水を溜めた壺が置かれています。

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これは「シキヨダユルアマガヌビー」と「アマダユルアシカヌビー」の壺と呼ばれ、

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シキヨダユルアマガヌビーは聞得大君を最高神職に就任する「御新下り」(おあらおり)の儀式の際、聖水を額に付ける「御水撫で」(ウビナディー)で使用されました。
聞得大君は、この儀式で神霊を授かり、神と同格になったと云われています。

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またアマダユルアシカヌビーは、首里城の王子(中城御殿)の水撫でに使われました。

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大岩を先に進むと、二つの大きな岩が絶妙なバランスで支え合う、三角の隙間があります。
これが斎場御嶽のシンボルとも言える「三庫理」(サングーイ)です。

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三庫理を抜けると、左手に久高島が望める遥拝所があり、ここが斎場御嶽の中で最も重要な場所であったと云われています。

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なぜなら久高島は琉球民族の祖霊神と云われる「アマミキヨ」が最初に造った島であるとされており、神の島と呼ばれているからです。
久高島では、12年に1度、午年に行なわれる女性だけの秘祭「イザイホー」が今も受け継がれていると云います。

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琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせます。
アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地と7つの森を造ったとされます。
このアマミキヨが造ったとされる聖地のうち、7つを琉球開闢七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰において最も神聖な御嶽として位置づけられています。
その琉球開闢七御嶽をアマミキヨが造ったとされる順番に列記すると

1)安須森御嶽(あすむぃうたき)
2)クボウ御嶽
3)斎場御嶽
4)薮薩御嶽(やぶさつうたき)
5)雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき)
6)クボー御嶽(くぼーうたき)
7)首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき)

となっています。

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琉球神話によると、豊穣と命の根源の世界「ニライカナイ」は海の彼方、あるいは地底にあると考えられました。
やがてニライカナイ信仰は東方信仰と混交して、東方にあると考えられるようになり、一方、天空には「オボツカグラ」という異界があるとされるようになりました。
ちなみに西方には魔界があるとされています。

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今も太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡る聖地巡礼「東御廻り」(アガリウマーイ)や今帰仁一帯の聖地を巡礼する「今帰仁上り」(ナキジンヌブイ)を行う者が後を絶たないと云います。

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再三申し上げておくと、これらの聖域・御嶽は、「拝所」(うがんじゅ)と呼ばれ、島民であっても年に一度しか中に入ることを許されないほどの聖域とされています。

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そこは、今も祖神が守っていて、いつでも来る人間を見つめていると伝えられています。
御嶽の門前に立っただけでも、確かに、言いようのないその霊圧を感じました。
聖域へは原則として祖神とゆかりのある者が特別な時だけ、ユタと呼ばれる神人(カミンチュー)に同行してもらい、入ることが許されるのです。

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三庫理の奥に立っていると、不意に吹き抜けるような気に押され、上を見上げました。
ここの岩壁は後で調べてみると、今も神が降り立つとされる岩であり、知らず手を触れた人が身の危険を感じる出来事にあったという話も少なからず伝えられていました。
神と呼ばれる何某かが、人間に悪意を及ぼすような関心を持っているとも思えませんが、不用意に触れてはいけない聖域というものはあるのだと思います。

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三庫理を離れようとした時、岩壁の一角に、三葉虫らしき化石を見つけました。
ここは太古に海であり、確かに「ニライカナイ」に通じていたのだと、確信を得たのでした。

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