2018年6月、リベンジの蔵王「御釜」を目指し、仙台空港まで飛びました。
「蔵王山」と名のつく山は国内にいくつかありますが、全国的に知名度が高く、多くの場合指し示すのは、日本百名山の一つ、宮城県と山形県にまたがる奥羽山脈の蔵王連山になります。
蔵王の名称は、白鳳8年(679年)、修験の開祖「役小角」(えんのおずぬ)が、大和国・吉野山からが蔵王権現を「不忘山」(わすれずのやま/刈田岳・宮城県側)に奉還し、周辺の奥羽山脈を修験道の修行の場としての「蔵王山」と称したことに由来すると云います。
蔵王は山形の出羽三山とともに、修験者たちに崇められてきました。
蔵王山の麓、蔵王町宮に「刈田嶺神社」(かったみねじんじゃ)があります。
後に目指す「御釜」刈田岳山頂に、蔵王大権現を祀る「刈田嶺神社・奥宮」がありますが、当社はその里宮という位置付けのようです。
蔵王山一帯は、平安時代には修験者たちが僧坊に集まって拡大し「願行寺四十八坊」と呼ばれる修験道の大寺院となりました。
平安時代末期(12世紀末)には奥州藤原氏の庇護も受け、ますます栄華を極めますが、奥州藤原氏滅亡とともに衰退が始まり、戦国時代には兵火による焼失も加わって戦国末期(16世紀後期)には3坊まで減少してしまいます。
江戸時代後期(18世紀末)になると、伊勢参拝のお蔭参りが盛んになり、その影響で「蔵王大権現社」への参詣も賑わいを見せ始めます。
ところが、蔵王山は東北にあり、山頂の「蔵王大権現社」は冬季には、積雪のために参詣することができません。
そこでこれを解消するため、冬季に麓の嶽之坊にある「蔵王大権現御旅宮」(おかりのみや)に季節遷座をするようになりました。
その今の姿が、当社となります。
古びていますが、とても風格ある社殿です。
拝殿前に、変わった狛犬が鎮座しています。
強いて言えば、カエルのような狛犬。
しかしやはり、それは妖怪と呼んだ方がしっくりくる造形です。
明治維新の神仏分離において、当社は「蔵王大権現」から「蔵王大神」へと改号しました。
さらに同年9月、社号を「水分神社」(みくまりじんじゃ)に改称し、明治8年(1875年)に「刈田嶺神社」へ改称しています。
蔵王連山は、今も活動を続ける火山であり、付近にはその恩恵を受けてたくさんの温泉が湧出しています。
当社のそばでも豊富な温泉が湧き出ているようで、側溝などから湯気が立ち込めていました。
近くの温泉施設では、無料の足湯などが解放されています。
蔵王エコーラインを車を走らせていると、「蔵王寺」がありました。
蔵王の名のついた寺院ということで興味を持ち、立ち寄ってみましたが、当地は「賽の磧」(さいのかわら)と呼ばれているようです。
本堂の横には、「賽の磧延命地蔵菩薩」が鎮座し、息災延命の功徳があると云われています。
当地、賽の磧は1250mに位置する山岳寺院で、冬季は総丈約4mの延命地蔵尊が隠れてしまうほどの積雪になります。
当院には「くぬき地蔵尊」も鎮座しており、手ぬぐいで病める場所をさすると、苦を抜いてくれると言い伝えられていました。
さて、いよいよ念願の「御釜」へとやってきました。
御釜へは、蔵王エコーラインを車で進み、有料道路の「蔵王ハイライン」を使って車で行くルートと、「蔵王刈田リフト」で進むルートがあります。
蔵王ハイラインは普通車で540円、リフトは往復で700円ほどかかります。
蔵王ハイラインは開通直後の4月下旬ごろであれば、雪の壁に挟まれた道を楽しむことができます。
今回僕はリフトで空中散歩を楽しむことにしました。
ちなみに前回訪れた「蔵王ロープウェイ」からは、山頂の地蔵岳から90分ほどのトレッキングで御釜まで到達できたようでしたが、時間の都合上断念したのでした。
早速リフトに乗ると、いかにも怪しげなテントが待ち構えています。
あっ、と思った時にはすでに、
すでに盗撮された後でした(笑)
滅多にこの手の写真は買わないのですが、面白かったので購入してしまいました。
リフトに乗ると、草木の背丈の低さが目につきます。
森林限界に近いのと、冬の積雪のためだと思われます。
左手に熊野岳山頂に建つ熊野神社が見えます。
数分の空中散歩を楽しんだら、到着です。
そこは火山らしい、荒涼とした世界が広がっています。
御釜が見える場所まで、しばらく歩きます。
右手に見える、ひときわ大きな社殿は「刈田嶺神社」の奥宮です。
10分ほどで到達できるようなので、後ほど向かいます。
まずは火山湖「御釜」を拝見いたしましょう。
左から
右へ、えぐれた火口。
そこにエメラルドグリーンに輝く湖面。
これが蔵王の御釜です。
御釜の縁からは、水が流れた跡が見て取れます。
蔵王連山は宮城県と山形県にまたがる山々の総称です。
御釜は、その中で宮城県側にある蔵王五色岳にある火山湖になります。
御釜は噴火口に水が溜まって湖となったもので、様々な鉱物が溶け込んでおり、季節や時間、天候などによって湖面の色が深いブルーやエメラルドグリーンなどに変化するそうで、「五色沼」の別称も持っています。
1182年ごろに噴火した五色岳は、その爆発で凹地ができ、今の釜状になりました。
そこへ1820年あたりから水が溜まり始めたそうです。
御釜の水の底からは、今も火山ガスを噴出し続けており、蔵王は未だ生き続けている火山なのだそうです。
ちなみに、御釜はカルデラ湖ではなく火口湖であると分類されています。
日本では2km以下の凹地を「火口」、2kmより大きいものを「カルデラ」と一応の分類をされているようです。
また火口湖は噴火の爆発でできるものを言うようで、温泉成分などが含まれているために強酸性であったり、濃い色がつくことが多いと言います。
まるで大量のバスクリンを流し込んだような色だなと思っていましたが、まさしく御釜は、天然のバスクリン水だったようで、pHは3.5ほどある酸性です。
つまり生物は棲息していないそうです。
逆にカルデラ湖は、透明な湖が多いそうです。
それでは刈田岳の山頂を目指してみます。
そこそこきつい道ではありますが、10分もしないうちに到達できました。
そこは少し開けていて、石碑が数本立っています。
その一つに、「伊達宗高」公の記念碑が建てられていますが、彼は伊達正宗の七男で、刈田岳の大噴火の際、苦しむ領民のためにこれを鎮めようと、危険を顧みず当山に登ったと云われています。
記念碑の一部が欠けており、ヒビが入っているのは落雷によるものだそうです。
宗高は噴煙にむせびながらも、この地で請願をし、その結果噴火が治まったと云います。
まさしく伊達男の心意気が伝わる逸話です。
その平地を見渡すと、まるで恐山を彷彿とさせるような、荒涼とした景色が広がっています。
そこを訪れた人々の願いによるものか、無数の石が積まれています。
白い鳥居の先に鎮座するのは「刈田嶺神社・奥宮」。
白く、やや侘びた社殿です。
春から秋にかけては当地に鎮座する蔵王明神(大権現)ですが、冬は山のふもとの里宮へと、季節ごとに御神体を引っ越しさせる「季節遷座」が行われています。
社殿の周りを見てみると、
ぐるり、立派な石垣で囲われています。
これは月山でも見たように、当地が雪風激しい場所に建っていることを物語っています。
この日は穏やかな晴れ間に恵まれましたが、濃霧で御釜が見えないことも多いようで、自然の激しさを湛えた神の鎮座する聖地であることを実感させられました。
ものごとにはすべていろいろな側面があるということですね。樹氷も見てみたいです。
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蔵王と言えば、スキーをして、温泉に入った思い出がありますが、神秘的なところなのですね。
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いつか樹氷のライトアップも見てみたいと思っています!
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