“ The world is a book and those who do not travel read only one page.”
古代キリスト教の神学者「アウグスティヌス」(St. Augustine : 354 – 430)は、「世界は1冊の本」だと言いました。
「旅をしない人は本を1ページしか読んでいないのと同じである」と。
「長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る。」
アラブのことわざです。
旅が僕に教えてくれたのは、自然の雄大で力強く美しい姿でした。
そしてそこには、古代からの人々の畏怖と祈りの痕跡が記されています。
「エコ」という傲慢は、現代人の発想です。
「地球に優しい」「環境に配慮した」などと言っているうちは、人は救われません。
「地球が優しかった」から、「自然が人間に配慮してくれた」から、今まで人は生きてこられたのです。
人間が山を削っても、大気を破壊しても、地球としての傷は些細なもの。
火山噴火でまた山は造られますし、人がいなくなれば、失われた大気も再生されるでしょう。
人が咳やくしゃみをするように、大風を起こして、大雨を降らせ、ちょっと体温を上げれば体調は元に戻るのです。
地球が壊れているのではなく、正常化の作用によって、僕らの生活圏が自業自得によって失われつつあるというだけのことです。
地球は奇跡の星です。
大気があり、水があり、自然がある。
大自然の中、小さな社の前に立つと、浅はかな願い事などする気にはなれず、ただただ生かされいることの感謝の気持ちしか生まれません。
古代人は太陽を敬い、自然を敬って、その産物を少しだけお借りし、生かされることに感謝して祭祀しました。
死した先祖は土に帰り、自然に還っていったので、先祖も神となりました。
神を敬い畏れることは、人間が地球に寄り添って、永く幸せに生きていくための知恵でした。
今の僕らは頭は良いのに、知恵を失くしてしまったようです。
「雲の向こうは、いつも青空」
“There is always light behind the clouds.”
「若草物語」を書いた「ルイーザ・メイ・オルコット」の言葉。
「年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ」
“We don’t stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing.”
アイルランドの文学者「ジョージ・バーナード・ショー」の言葉です。
遊び心を忘れず、これからも旅を楽しむ。
もう少しだけ、僕らの世界が続くことに感謝をしながら。