幸福論

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「人は失ったのちに、その本当の価値を知ることができる」

とは、僕の持論です。
人は手にしているときは、それがどのくらい自分にとって大切なものなのか、よく推し量ることができません。
無くして、そして一定の時が過ぎて、初めてその真の価値が解るというもの。
大好きだと思っていた人が、別れてみると意外に大勢の中の一人に過ぎず、他愛のない関係だった人が、離れてみるとどうしようもなく恋しかったり。

『幸福』というものも、それに近いように思います。
「今、最高に幸せだ!」って時も、そうでありたい、そうでなければならないと、自分に言い聞かせていたのではないか。
粋がっていたり、贅を尽くしていたり、そんな時は幸せだと思っていても、後にはなんだか虚しさだけが残ったものです。

ふとした風景に、過去の情景が重なり、心があたたかくやんわりとなることがあります。
たぶん、この時思い浮かぶ情景が、僕にとっての本当の幸せな時だったと思うのです。
そして、それはいつも、実にささやかなものなのです。
例えばそれは、子供と手を繋いで歩いた公園の風景だったり、初めて好きな人と一緒に歩いた帰り道のことだったり。

なんの衒いもなく、認識できる幸せな時間は、僕には過去の記憶の中にしかないのかもしれませんが、それは悲観することでもないのです。
なぜなら、どんな苦境にある時でも僕のすぐそばに、幸せの種は、ささやかな時間は転がっていて、それを見過ごさないように注意さえしていれば、のちに振り返る僕の人生は、幸せな時間で満たされていることになるからです。

過ぎゆく時間に注意を向けること、これが『Master of life』への道なのだと、改めて思わされます。

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