諏訪大社 上社前宮:八雲ニ散ル花 蝦夷ノ王篇09

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「御名方様、洩矢の長老が話に応じると言ってきました」
「そうか、わかった」

タケミナカタらが諏訪にたどり着いた時、先住の洩矢一族の激しい抵抗を受けた。

「彼らの抵抗を受け流すのだ。決して殺しても、殺されてもならぬ。遺恨を残さぬよう留意し、彼らの敵意が収まる時を待つのだ」

タケミナカタは洩矢一族を力で制圧しようとは考えていなかった。
彼は出雲王家の先代に倣って、言葉で統治することを望んだ。
そしてタケミナカタに武力制圧の意思がないことがわかった洩矢の長は、夕刻の頃、頭を下げにやってきた。

「儂らはこの辺境の地で、平穏に暮らしとったので、あなたらの軍勢が武力で攻めてきたと思い、血が昇りました。
しかしあなたなら、儂らなどあっという間に倒せたでしょうに、そうなさらなかった。
あなたはこの洩矢の土地と民を、どう為さりたいのじゃ」

「これを」

そう言ってタケミナカタが差し出したのは、鉄で出来た筒のようなものだった。

「これはサナギという、我らが祭祀の際に使う神器です。
本来は銅で作りますが、これはこの先の山から採れた砂鉄で作りました。
あなた方も鉄を採るようだが、量は僅かばかり。
我らのやり方で鉄を採るなら、この土地はますます栄えましょう。」

長老はサナギと呼ばれた鉄鐸を手に取り、まじまじと眺め見た。

「これほど良質な鉄が、この山から作れると申されるか」

「さらに、あなた方は狩で食を得ているが、我らは稲作の知識・技術も心得ている。
ここで稲作を営めば、飢えることもなくなります。
今、西の地では大和という国が出来つつあるが、私はここに、大和に負けない強大な国を造りたい。
その手助けを洩矢の民に手伝って欲しいのです。
共に、王国を築いてはもらえまいか」

長は平伏した。

「確かに儂らはいつ飢えるともしれぬ生活をしてきた。
民が潤うなら、これほどありがたい申し出はございませぬ。
しかし儂らは先祖から受け継いだ土地と信仰を失うわけには参らぬのです」

「洩矢殿、顔を上げられよ。
もちろんあなた方の聖地を、我らが穢すことは致しませぬ。
あなた方の聖地はあなた方で守っていけば良い。
しかし祭事は統一せねばなりません。
洩矢の神と我らの神を等しく奉る、新たな祭事を始めていけばよい」

「ありがたき…」

そう口にしながら、長は手にした鉄鐸を頭上にあげた。

「祭事には両の民にもわかりやすい、神体が必要であろう。
太く、天高き神柱を、そうだな、我が両親神と洩矢の両親神、4本の柱を立てて祀ろう。
これは男どもの腕力が試される、盛大な祭りとなろうぞ。」

タケミナカタは大きく笑った。
つられて長も、付き添いの者らも顔がほころんだ。
諏訪湖の湖面には、宵の月が揺れ映っていた。

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諏訪大社上社の摂社の1つ「葛井神社」を訪ねました。

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境内に、ちょっと不思議な御神木があります。

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「千年欅」と呼ばれるそうですが、落雷や失火により、危険な部分を切り落とし、保存するに今の形となったようです。

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当社の祭神は「槻井泉神」(つきいずみのかみ)。
祭神の名にあるように、この神社の信仰の対象は、本殿に隣接する池となっています。

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この池は諏訪七不思議の1つ「葛井の清池」。

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上社に、一年の最後に行われる「葛井の御手幣送り」(くずいのみてぐらおくり)という神事があります。

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大晦日に上社で使われた幣帛や榊などを、寅の刻に前宮御室の御燈を合図に池に投げ入れるというものです。
すると翌元日の卯の刻に遠江国の佐奈岐池(さなぎいけ)に、投げ込んだそれらが浮き上がってくると云われています。
この佐奈岐の池が、具体的にどこの池を指すかは分かっておりませんが、静岡県御前崎市佐倉の桜ヶ池を比定する説があります。
桜ヶ池に赤飯を詰めた櫃を沈めると、その櫃が諏訪湖に浮かび上がったと伝えられているとの話です。

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また葛井の清池は底なしとも伝えられ、池の主である片目の魚を捕ると祟りで死ぬとも云われています。

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さて、諏訪大社・上社前宮へやってきました。

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神長官「守矢」氏を中心に、ミシャグチ神の狩の祭りが行われていたという話を、先の御頭御社宮司総社の話で触れました。

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前宮は二つの杜からなっています。

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参道に入ってすぐ右手に「溝上社」(みぞがみしゃ)という小さな祠がありました。
みそぎの池にあり、御射山へ向かい前に必ず参詣された社だと云います。

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その先は小高い丘になっています。

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この辺り一帯は「神原」(ごうばら)と呼ばれ、「神殿」(ごうどの)という大祝が住居した建物があったと伝わります。

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ニノ鳥居が見えてきました。

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御朱印と書かれた方向に社務所があります。
向かって左側の建物が現在も御頭祭が行われる「十間廊」です。

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往古は、前宮の地で全ての祭祀が執り行われていました。

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様々に執り行われた祭りの中でも、「御頭祭」(おんとうさい)は壮絶だったそうです。

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4月15日に行われる祭で、別名「酉の祭り」「大御立座神事」(おおみたてまししんじ)「大立増之御頭」などとも呼ばれるそうです。

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今は鹿や猪の頭の剥製が祭祀に使われているそうですが、江戸時代までは猪鹿の生首や、白い兎を松の棒に串刺しにしたもの、鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さったものなどが捧げられていました。

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更に、「禽獣の高盛」と呼ばれた、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供されたと云います。
また諏訪大社七不思議の1つとして生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるという「耳裂鹿」というものが言い伝えられています。

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この「御頭祭」や「御射山祭」(みさやまさい)に見られる上社の狩猟神事は、南北朝時代の『神道集』「諏訪大明神秋山祭のこと」に記された、諏訪明神の「我は狩猟を好む」の言葉に端を発しています。

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つまり、ここでいう諏訪明神とは、タケミナカタのことではなく、狩猟民族の神「ミシャグチ」を示していることになります。

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神殿(ごうどの)の杜を抜けて、しばらく登り道を進むと、「前宮」が見えてきました。

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杜を囲むように、4本の御柱が立っています。

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前宮はかつて、上社本宮の摂社という位置付けでした。
しかし社・民挙げての声に、明治29年、諏訪の祭祀の発祥地としてその特殊性が認められ、諏訪神社上社の「本宮に対する前宮」と格付けされることになります。

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本宮の主祭神は「建御名方神」(たけみなかたのかみ)で、前宮はその妻「八坂刀売神」(やさかとめのかみ)となっています。

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しかしここで、ミシャグチ系の祭祀が行われていたことから、当地は元来、洩矢の祖神を祀った聖地だったのだと思われます。

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タケミナカタをはじめとする出雲人の祖先は、インドのドラビダ人でした。
インダス文明を築いた民族ドラビダ人は、母系家族制の農耕民族です。
母系家族制の特徴として、妻問婚制があり、おおらかな人種でした。
そこへ西北から戦闘的な牧畜民アーリア人が侵入してきて、多くのドラビダ人を奴隷化していきます。
この時、多くのドラビダ人は南方へ逃げましたが、クナ地方を支配していたクナト王は民を連れて北へと向かいました。
クナト王は他民族との衝突を避け、ゴビ砂漠、バイカル湖を通り、樺太から北海道、津軽へと上陸します。

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やがて彼らは出雲に辿り着き、そこに定住しました。
なぜならそこは、彼らの得意とする製鉄に向いた、良質な砂鉄が採れたからです。

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タケミナカタの父、事代主は、出雲王国の8代目副王であり、軍事も司っていました。
なので、息子も多少は気が荒かったかもしれません。
しかし元来彼らは、おおらかで争いを好まない民族性を持ち合わせていたのです。

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タケミナカタを見る上で、このおおらかさ、農耕民族、製鉄民族であったというところがポイントです。
諏訪大社上社の神宝に「佐奈伎鈴」(さなぎすず)と呼ばれる鉄鐸があります。

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鉄鐸とは字の通り、鉄で出来た銅鐸のようなものです。
御頭祭のなかで、大祝の代理となる神使(おこう)が巡行して、人々を集めて鉄鐸を鳴らし神事を行ったそうです。
銅鐸も出雲王国圏での重要な祭祀具であり、木に吊るして音を鳴らし、神事を行ったと伝えられています。
出雲人は幼虫から蝶へと変化する過程に神秘を感じ、サナギに似た神器を造り、木に吊るした銅鐸の姿から、それを「佐奈伎」(さなぎ)と呼びました。

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鉄鐸は間違いなく、タケミナカタらによって持ち込まれたものと思われます。

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当初の洩矢族は農耕を知らない、狩猟民族であったと推察できます。
タケミナカタらが諏訪に至った時、先住の洩矢族と争いになったと伝えられますが、タケミナカタ軍が勝利し、破れた洩矢族を迎え入れ、共に諏訪の開拓に勤しんだと云います。

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この時、タケミナカタは古来から続く洩矢の祭祀を保障したのではないでしょうか。

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今なお狩の祭事が続けられている諏訪大社・上社前宮こそ、古代から続く洩矢族の聖地であり、上社の根幹を成す場所ではないでしょうか。
それに対し、本宮は諏訪大社としての体裁を成すために、建前上タケミナカタを祀った、部外者向けの聖地であるように感じました。

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前宮の玉垣内に石垣で囲われた「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)の墓と伝わる神跡があります。
この伝承が正しいとするなら、タケミナカタは洩矢の姫を娶ったのかもしれません。

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4件のコメント 追加

  1. さいとう よしみ より:

    たびたび失礼申します。
    動画でお教えいただきありがとうございます。
    僕は、デジタルに弱い中年男性でありまして、動画の存在を知りませんでした。(ちょっと、かなり恥ずかしいです)
    銅鐸ランプや遮光土器(アラハバキ像?)ランプのような物を、趣味で作っており、鉄鐸、でありましょうか?ついつい、また投稿してしまいました。
    また美保神社様へ行かれるとのこと。最近まで美保神社さん拝殿の切り絵も、憧れて作ってましたもので、ちょっと羨ましい次第です。道中、お気をつけて行かれて下さい。

    もろもろありがとうございました。記して感謝申します。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      自作のランプ、すごいですね、見てみたいです♪
      美保神社の拝殿は、とても開放的で、港町らしい潮の香りを含んだ風が吹き抜けて僕も大好きです。
      今回は美保町に宿をとりましたので、のんびり過ごしたいと楽しみにしております。
      そのあとは年末から成人式にかけて、馬車馬のように働く日々が待っておりますが。。

      いいね

  2. さいとう よしみ より:

    たびたび失礼申します。

    思わぬところのブログの回で、出雲歴史の学びの復習を出来ました。また冒頭のやりとり会話(?)に、毎回、ほっとしながら読み進めさせていただいている次第です。

    銅鐸の音色、どんな音だったのだろう?。東北の南部鉄風鈴のような澄み切った音色に癒されたのだろうか?
    そんな空想はやみません。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは、さいとう様。
      つたない動画ですが、荒神谷遺跡の資料館にあった、レプリカの音色は聞けます。

      しかし当時の風景の中で流れる銅鐸の音色は、また違って聞こえたのではないかと、思いを馳せてしまいます。
      来週は島根半島の先端にある、出雲の美保神社で行われる諸手船神事を見に行く予定です!

      いいね

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