2019年1月2日、神功皇后ゆかりの二社を訪ねてみました。
一社は久山町にある「伊野天照皇大神宮」(いのてんしょうこうだいじんぐう)です。
「九州の伊勢」と呼ばれる当社は、伊勢神宮さながらに宮前には川が流れ、禊をする場所もあります。
辺鄙な場所に鎮座していることもあり、普段はあまり賑わうことのない神社ですが、近年、「他人には教えたくない神社」として、ひっそりと人気を集めています。
この日はお正月ということもあり、さすがの賑わいです。
が、ほとんどの参拝者はこの拝殿で折り返して帰っていきます。
しかし当社へやってきて、裏の「本殿」、そして「古神殿跡地」を参拝しないのは、もったいない話です。
拝殿からまっすぐに伸びる階段。
その先にあるのが本殿です。
神明造の神殿に祀られるのは、「天照大神」「手力雄神」「萬幡千々姫」と云います。
中でも主神はやはり、アマテラス。
当社創建は神功皇后に由来します。
仲哀9年(200年)、熊襲征伐の途中、神功皇后に憑依した神の託宣を疑った仲哀天皇は、その祟りをうけて香椎宮で崩御したと云われます。
そこで天皇の重臣たちは、再び神功皇后に神を降ろし、祟った神の名を尋ねました。
語られた神の名は次のものでした。
「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)
「天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神」(あめにことしろそらにことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ)
「上筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)の神」
本殿からさらに裏手へ登った場所に、古神殿跡地があります。
そここそが、当社の深部であると感じます。
仲哀天皇を祟った神のうち、事代主と住吉神は確定として、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命という神が長らく謎とされてきました。
一般にはこの神はアマテラスであると解釈され、それに倣って当社の祭神も天照大神となっているのだと思われます。
しかし富王家の伝承によれば、この神は伊勢神宮を創建した「大和姫」であると云います。
大和姫は東出雲王家「向家」の血を継いでいたので、「向津姫」と呼ばれていました。
そもそもアマテラスの名は古事記・日本書紀の制作に伴って生まれたもので、それ以前の神功皇后の時代に、その名の神は存在していませんでした。
というのなら、当社に祀られている神の本来の姿は、大和姫であるということになるのかもしれません。
などと思いながら、僕は念願の伊野天照皇大神宮の御朱印を手に入れたのでした。
続いて二社目は、帰り道に駐車場待ちの渋滞に巻き込まれ、そのまま参拝した「宇美八幡宮」です。
こちらも大変な賑わい。
見上げれば、四神の幡が勇ましくなびいています。
宇美八幡といえば「子安餅」。
餅屋の前にも行列ができています。
宇美八幡宮は神功皇后が応神天皇を出産した場所と云われ、安産祈願で有名な神社です。
この出産の時に八流の幡を立てたことから、「八幡」の名がついたとも云われています。
拝殿前には左右に4本ずつ、
計8本の白い幡が今も掲げられていました。
ようやく拝殿にたどり着きます。
拝殿の左手には、「子安の木」という小ぶりな御神木があります。
皇后はこの槐の木に取りすがって、皇子をお産みになったと伝わります。
いつ訪れても、ほんわかとした母性愛を感じる当社、
その愛が育むのか、境内には森と呼ぶにふさわしい巨木が多数あります。
聖母宮前では正月限定の御朱印が販売されていました。
最近は派手な絵付けの御朱印や、期間限定品の御朱印が溢れてきて、逆にありがたみが薄れたような気がしています。
が、それでも一応、買い求めてしまうのが性。
ちなみにこの日引いた二つのおみくじは、どちらも大吉でした。
ラッキー♪